2017年7月21日 (金)

古い「てる坊」に祈り

   岩国市   会 員   片山清勝

 孫娘がなぜ晴れを願ったか覚えていないが、園児の頃に作った数個の「てるてる坊主」が、わが家に残っている。
 素材はティッシュペーパー。丸めて頭の芯にし、広げた2枚をかぶせ、首の所を輪ゴムで止めた簡単なものだ。孫にすれば一生懸命だったに違いない。
 私も、遠足や運勲会、祭りの日に晴れてほしい気持ちを込めて、てる坊を作った思い出がある。
 子どもの頃の雨は、しとしとと降る記憶が強く残っている。そんなことで、てる坊登場の場面があったのだろう。
 ところが最近の降りは変わった。降れば土砂降り大洪水、人命までも持ち去る降雨は異常だ。九州北部の豪雨で亡くなられた方のご冥福をお祈りする。
 豪雨は、優しい顔のてるてる坊主の力ではやみそうにない。
 わが家のてる坊は、かれこれ十数歳になる。京都住まいの孫は自転車で大学に通う。今は、安全のお守りとしてもう少し頑張ってもらおう。    
     
 (2017.07.21 中国新聞「広場」掲載)

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2017年7月15日 (土)

「予期せぬ出会い」

   岩国市  会員     吉岡 賢一 
 我が家から30分走った買い物の帰り。愛車の後部ドア取っ手のくぼみに4センチばかりのアマガエルがへばりついていた。
 急ぎ草むらに返そうかとも思ったが、強風や振動に耐え、必死に吸盤を広げ振り落とされずドライブに付き合ってくれた健気なアマガエルが急に愛おしくなった。
「袖振り合うも他生の縁」。そのまま連れ帰って我が家の庭に放つことにした。
 急発進も急停車も避け、スピードも控えめに。小さな命を守る優しい運転で無事到着。
 アマガエル教官に見守られ、優良運転手の仲間入りした。
 上手な運転より確かな運転を。
  (2017.7.15 毎日新聞「はがき随筆」 掲載)

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2017年7月14日 (金)

どんな字ですか?

    

山陽小野田市   会 員   河村 仁美

 
私の名前はひとみ。必ず「どんな字を書きますか?」と聞かれる。いままで「仁義の仁に美しいです」と答えている。ある時は、宛名が仁義様で届いた。今回は仁美が仁になっていた。主人に見せたら「美が欠如しているから美を書き忘れたんじゃないか」と言う。
 そもそも自分で「美しいです」というのも恥ずかしいものだ。友人は苦労していたが、アイドルと同じ字になったので説明するのが楽になったという。なかなか有名人も思いつかない。今後「美人の美です」と言うようにアドバイスされた。
 皆様、どうぞお見知り置きを。

   (2017.07.14 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2017年7月 4日 (火)

雨に咲く

   岩国市   会 員   片山清勝

 家の前は裏通りの小さな四つ角。三方から来た集団登校の児童らはあいさつしながら合流し表通りへ向かう。           
 そんな通りが華やぐのは雨の朝。登校する短い時間だが赤、桃、黄、青などの傘の花。3人が横並びできない狭い通りいっぱいに咲く。その傘花は自由気ままに揺れていて、雨に打たれる紫陽花のようだ。
 私の子供の頃は麻木色の油紙を竹骨に張った番傘。小柄な私には重たかった。また長靴は黒一色たった。
 今は傘も雨靴も色とりどり。若いお母さんが「両方とも子供らにはファッションです」と教えてくれた。

    (2017.07.04 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2017年6月27日 (火)

「勉強遅くない」亡き父のおかげ

岩国市  会 員   樽本 久美

 

父が4月29日に85歳で亡くなった。私は父に怒られた記憶がなく、本当に優しい人だったという思いしかない。我が家は浄土真宗なので、父の法名が「釋浄楽」であった。今回、浄土真宗の法名に釋がつくことを知ったり、お寺からいただいた「作法の本」で通夜から葬儀までの作法を学んだりした。
 父が亡くなったことで、お寺とのご縁をいただくようにもなった。この年にして何も知らない自分だったが、今から勉強しても遅くはないはず。

これからは疑問があれば自分で調べたり、知っている人に聞いたりしようと決めた。そう誓えるようになったのも全て父のおかげだと思う。
   
(2017.06.27 読売新聞「気流」掲載)

 

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2017年6月26日 (月)

盛大な喜寿の会企画

   岩国市   会 員   片山清勝

 40歳を過ぎた頃から、毎年続く高3の時の級友との飲み会。昨年「来年は喜寿を盛大にやろう」という乾杯でお開きにした。
 仰せつかった幹事の役目として、まず電話で出欠確認する。「おお待つとった」と気持ち良い返事につい長話になる。関東、関西からの参加もあり盛会になりそうだ。
 退職して時が過ぎ、なじみの店も少なくなった。最近は、後輩がおかみをしている店で開く。先輩風は吹かしてはいないが、心遣いがうれしい。
 毎回、飲み放題だが、酒量も減り料理の残りが増えてきたのは年相応かと感じる。しかし、話し方は青春時代のままだ。ただ、話の内容は経験した病気や健康への取り組み方などが増えた。
 皆に楽しんでもらえるための趣向を練っている。喜寿は紫色で祝うという。宴席の座布団の色は紫で頼もう。
 喜寿まで元気にこられたことに感謝し、さらに級友との絆を強めよう、などと思いながら名簿を作っている。 

     (2017.06.26 中国新聞「広場」掲載)    

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2017年6月25日 (日)

興風時報

   岩国市   会 員   片山 清勝

 岩国を知る上で貴重な新聞「興風時報」がちょうど100年前の1917 (大正6)年5月に発刊された。戦時下には合併、休刊もあったが、56年9月まで月1回、延べ2千号以上が発行された。
 その閲覧が図書館でできると知り、訪ねてみた。「岩国を知る貴重な史料です」と係りの人は言って書架まで案内してくれた。
 父が「興風時報」の読者だったという子供のころの記憶が残っていた。また、数年前に仲間とご当地検定を立ち上げた時、検定資料を作成した。そうした作業の中で、興風時報の記事から引用した資料に出合ったこともあり、本物を読んでみたいと思っていた。
 創刊号は14。発行所は岩国市でなく、山口県玖珂郡岩国町とされていた。1部3銭。広告は1行15銭、発行の年号に紀元と西暦を併記するなど時代を知る上で参考になる。記事内容は現在の新聞ローカル面と大きな違いはないが、町内の出生状況や行事が細かく載っていてほほ笑ましい。
 豊富な記事内容を目の当たりにして 「貴重な史料」という説明に納得した。高度に通信手段が発展した現代とは格段の差がある時代の取材、大変だったろうとも想像した。
 記事に句読点はあるが、改行はない。べた書きで少し読みづらい。初めて見る字、読めない字も多い。
 まだ1冊目のファイル2年半分を見ただけだ。全18冊を見終えるには相当な時間と努力が必要だが、郷土を知るため続けたい。

     (2017.06.25 中国新聞セレクト「ひといき」掲載)

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2017年6月21日 (水)

小さな池

       岩国市  会 員   森重 和枝

 

庭に小さなハナショウブ池がある。池は亡夫が手作りして、20株の苗を植えたものだ。「梅雨時の庭を彩り、心を和ませてくれる」と大輪の花を愛でていたことが何回あっただろう。
 あるじを失っても株は増え続け池は挟くなった。株分けし、休耕田の辺りに移し畑を作る。毎年、少しずつ広げていき、20年たった今では200株を超えてきた。手入れが行き届かない現状で、花付きが悪くなった。
 庭の池だけは、せっせと草取りをして毎日手入れをしている。今年も祥月命日に合わせて、きれいに咲いてくれた。
 形見の池は健在ですよ!
  (2017.06.21 毎日新聞「はがき随筆」)掲載)

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2017年6月20日 (火)

母の大島紬

  岩国市  会 員   安西 詩代

私の小さい頃から明治生まれの母がよく着ていた、大島紬の着物をもらっていた。これから先、この和服を着る予定もなかったので、洋服のベストに作り替えてもらった。縫ってくれた方が「ところどころ、薄くなっていましたよ」と言っていた。

先日、57年前の写真がでてきた。その大島紬の着物を着ている母と父が、宮島の鳥居をバックに撮影した白黒の記念写真。この6年後に父は亡くなっている。

今の周南市から宮島まで、1日かけての小旅行だったのだろう。父と母は、どんな話をしながら宮島を歩いていたのだろう。私の知らない父と母を大島紬は知っている。 

この着物は母のお気に入りでとても丁寧に手入れがなされ、いつ見ても新品のようだった。最初はよそ行きにしていたのだろうが、そのうちにかっぽう着の下に着る普段着にしていた。

 50年以上も母と共にした大島紬は、喜びと悲しみを織り糸の中に包み込み、今度は私の喜びと悲しみを、その上に重ね込んでくれる洋服に生まれ変わった。大島紬の寿命に驚くとともに、よみがえったベストを見て、母が喜んでくれている気がする。

2017.06.20 朝日新聞「ひととき」掲載)

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2017年6月 9日 (金)

心の中の父

          岩国市  会 員   樽本 久美

  もうすぐ父の日がくる。4月に父が亡くなったので、デパートで今年は、何を贈ろうかと考えることができない。寂しい。でも、父は私の心の中にいる。生きている時とは違った感覚。
 最近、仏様の本を読んでいる。今まで何にも知らなかった作法や死後の世界。「毎日生きているのが当たり前」のような生活をしていた私。父の死で今日の大切さを痛感している。「今日できることは、今日やろう」。明日の命は、わからない。
 まだ、母が生きている。父の分まで母を大切にしたいと思うが、わがままな母。最近携帯電話を使うことになった84歳の母。何度も教えるが、なかなか使うことができない。年を取るとは、こういうことなのか?
 昔は、なんでもできた自慢の母であったが、今は……。私も通る道。我慢してもう少し、母に付き合うことにしよう。
 父はいないが、私の心の中にはいる。困ったことがあれば、南無阿弥陀仏と父の法名を唱えよう。周防大島が父の故郷。大島でも八十八ヵ所巡りができる。御朱印帳を持って巡りたい。観光も兼ねて大島の海と青い空を。
 事あるごとに父を思い出すが、前を向いて笑って生きていこう。そんな思いを込めた私の書作品を父のひつぎに入れた。
 小さいころ、あまりに落ち着きがない私に、書を習わせてくれた父。父の友人から書を習った。その先生も、今は、あの世で父と会っているであろう。私のことを見守ってくれているであろう。父の娘で本当によかった。ありがとう。合掌。
       (2017.06.09 毎日新聞「女の気持ち」掲載)

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