2017年8月11日 (金)

父が見た惨状映す絵

   岩国市   会 員   片山清勝

 近くで開かれた原爆展会場で、「水をもとめて」という1枚の絵が私の足を止めた。それは、被爆した人が、水を求めて水槽で重なり合って亡くなった様子が描かれていた。
 広島に原爆が投下された日、父は業務で同僚と自転車で岩国から広島に向かった。
 小学校高学年の夏休み、父の目にした惨状について聞きたいというと、難しい顔をして黙っている。それでも一つだけ話してくれたのは、「防火用水に、人も犬も一緒に漬かって亡くなっていた」という話だった。
 一つだけ聞かされ、覚えている原爆投下直後の街の様子が、目の前の絵と重なった。幾多の残酷な光景を見たであろう父が、その様子は「子どもにはむごくて話せない」と考えたのだろう。
 父は、それからも語ることなく50代半ばで急逝し、50年余が過ぎた。 
 会場
の外は真夏の日差しがまぶしい。投下直後のまぶしさと熱さを思い、核のない世界の実現を祈った。

     (2017.08.11 中国新聞「広場」掲載)

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2017年8月 5日 (土)

誕生日

     山陽小野田市  会 員   河村 仁美

 「諸人よ 思い知れかし 己が身の誕生の日は 母苦難の日」と書かれたバースデーカードを知人からもらった、母が30歳の時、帝王切開で私は生まれた。今は帝王切開で子供を産む人も少なくないが、当時は本当に苦難の日だったと思う。
 結婚してからも誕生日になると必ず「誕生日おめでとう。私が30歳の時の子供だから今年は〇歳だね」と電話をくれた。親子でお互いの年に30を足したり引いたりしながら相手の年を確認してきた。
 元気印で100歳まで生きるだろうと思っていた母の年が86歳で突然ストップしてしまった。母が亡くなったので、今年は電話がかかってこない誕生日になった。母の声が聞けなくて寂しいなあと思っていたら、3歳の孫の動画を娘がメールで送ってくれた。      
 「たんたんたんたん誕生日。ほんとにうれしい誕生日。大きくなあれ」。手拍子しながら一生懸命歌ってくれている。4月から幼稚園に通い始め、きっと幼稚園で歌っているのだろう。見ていると元気がわいてきて「ありがとう。体がこれ以上大きくなったら、デブばあばにになるので、心の大きなすてきなおばあちゃんをめざします」と返信メールを送った。
 母が亡くなった年まで30年。先日、娘が「おばあちゃんは何をやっても褒めてくれるね」と孫に言っているのを聞いた。褒め上手といわれた母に似てきたかな、とうれしくなった。母をめざしながら母の年を追いかけていきたい。

    (2017.08.05 毎日新聞「女の気持ち」掲載)

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2017年8月 4日 (金)

資料から声なき叫び

   岩国市   会 員   横山恵子

 原爆資料館(広島市中区)の東館地下に、米国のオバマ前大統領の折り鶴が展示してある。そして、同じ地下の特別展示室に2015年度、被爆者の家族から寄贈された被爆資料857点のうち98点が展示されている。
 戦後70年を過ぎても、こんなに多くの寄贈があることに驚かされる。と言う私もその一人だ。実は5年前に亡くなった父の写真を整理していたら、広島教員養成所の卒業アルバムが出てきた。それには被爆前の広島城などが写っている。青春真っただ中の若き日の父たち。夢も希望もあっただろうに、赤紙1枚で戦争に駆り出された。
 無念の戦死、被爆死した仲間たち。アルバムの中の写真5、6枚を資料館のガラスケースに納めてもらった。ケースの中の展示品からは、声なき叫びが聞こえてくるようだ。
 入り口のノートに、修学旅行生が「平和について深く考え次の世代につないでいきます」と書いていた。
 リニューアルされた原爆資料館に足を運び、戦争がもたらす悲劇と命の重みについて考えてみてほしい。

   (2017.08.04 中国新聞「広場 特集:原爆の日に寄せて」 掲載)

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2017年8月 3日 (木)

楽しく働く心掛けを

   岩国市   会 員   山本 一

 国を挙げて時間外労働の在り方が盛んに議論されている。労働者は多様であり、働き方も心の持ち方も多様である。この制度づくりは大変難しく、古くて新しい課題である。
 私は化学会社に41年間勤務した。私にとって働くことは、遊びと同じように楽しいことだった。遊びと違うのは、「仕事は給料がもらえる」ことである。 
 
その時々、与えられた目の前の仕事を機械的にやるのではなく、どうしたらより良い方向へ変えられるかを考えた。
 働くのは自分の意思である。働かされていると思うと、途端に「労働」に対する見方が大きく変わる。
 作家やスポーツ選手など、趣味や得意技がそのまま職業になっている人たちの労働観に、少しでも近づける努力をすることが大切なような気がする。
 退職して14年。働き方改革の議論に触れ、労働への思いがよみがえった。どんな仕事でも、「自分の意思で楽しく働く」という意識を持ってほしい。

      (2017.08.03 中国新聞「広場」掲載)

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2017年8月 2日 (水)

一口でも

   岩国市  会 員   樽本 久美 

 「本当のお茶が飲みたい」と私にいった父。「看護師さんに聞いてみるね」と言って聞きに行くが、飲ませてはいけないと言われた。あの時、少しだけでも飲ませてあげたら良かったと悔やんでいる私。一口でも飲ませてあげたかった。お茶を飲むたび思い出す。できることはやったと思いたいが、日を追うごとに、いろいろ思ってしまう。

 書展に出した自作の句。「蜻蛉になって父に会う」。黒白の書に、知人に絵を描いてもらった初めての試み。多くの人に作品を見てもらった。父も喜んでいるかな? 最後まで優しかった父。会いたいな。
 

  (2017.08.02 毎日新聞「はがき随筆」掲載) 

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聞いてみたい

      岩国市  会 員   林 治子

 愛犬が死んではや3年。朝夕散歩の相棒だったので初めは歩きたくなかった。自分の健康と主治医の後押しもあり歩き出してみると仲良しだった犬にも会い、犬友達にも慰められ、気が晴れることも多い。
 犬たちは当時のまま元気でピンピンしていたり、エーッとビックリするほど年を取っていたり。人間でも今は健康管理が重要視されている。犬といえども生き物。猫かわいがりではなくもう少し考えて飼えばよかったと悔やまれる。抱きしめた腕の中であまりにもあっけなく逝ってしまった。何か言いたいことがあったのではと思えてならない。

     (2017.08.01 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2017年7月21日 (金)

古い「てる坊」に祈り

   岩国市   会 員   片山清勝

 孫娘がなぜ晴れを願ったか覚えていないが、園児の頃に作った数個の「てるてる坊主」が、わが家に残っている。
 素材はティッシュペーパー。丸めて頭の芯にし、広げた2枚をかぶせ、首の所を輪ゴムで止めた簡単なものだ。孫にすれば一生懸命だったに違いない。
 私も、遠足や運勲会、祭りの日に晴れてほしい気持ちを込めて、てる坊を作った思い出がある。
 子どもの頃の雨は、しとしとと降る記憶が強く残っている。そんなことで、てる坊登場の場面があったのだろう。
 ところが最近の降りは変わった。降れば土砂降り大洪水、人命までも持ち去る降雨は異常だ。九州北部の豪雨で亡くなられた方のご冥福をお祈りする。
 豪雨は、優しい顔のてるてる坊主の力ではやみそうにない。
 わが家のてる坊は、かれこれ十数歳になる。京都住まいの孫は自転車で大学に通う。今は、安全のお守りとしてもう少し頑張ってもらおう。    
     
 (2017.07.21 中国新聞「広場」掲載)

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2017年7月15日 (土)

「予期せぬ出会い」

   岩国市  会員     吉岡 賢一
 
 我が家から30分走った買い物の帰り。愛車の後部ドア取っ手のくぼみに4センチばかりのアマガエルがへばりついていた。
 急ぎ草むらに返そうかとも思ったが、強風や振動に耐え、必死に吸盤を広げ振り落とされずドライブに付き合ってくれた健気なアマガエルが急に愛おしくなった。
「袖振り合うも他生の縁」。そのまま連れ帰って我が家の庭に放つことにした。
 急発進も急停車も避け、スピードも控えめに。小さな命を守る優しい運転で無事到着。
 アマガエル教官に見守られ、優良運転手の仲間入りした。
 上手な運転より確かな運転を。
 
  (2017.7.15 毎日新聞「はがき随筆」 掲載)

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2017年7月14日 (金)

どんな字ですか?

    

山陽小野田市   会 員   河村 仁美

 
私の名前はひとみ。必ず「どんな字を書きますか?」と聞かれる。いままで「仁義の仁に美しいです」と答えている。ある時は、宛名が仁義様で届いた。今回は仁美が仁になっていた。主人に見せたら「美が欠如しているから美を書き忘れたんじゃないか」と言う。
 そもそも自分で「美しいです」というのも恥ずかしいものだ。友人は苦労していたが、アイドルと同じ字になったので説明するのが楽になったという。なかなか有名人も思いつかない。今後「美人の美です」と言うようにアドバイスされた。
 皆様、どうぞお見知り置きを。

   (2017.07.14 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2017年7月 4日 (火)

雨に咲く

   岩国市   会 員   片山清勝

 家の前は裏通りの小さな四つ角。三方から来た集団登校の児童らはあいさつしながら合流し表通りへ向かう。           
 そんな通りが華やぐのは雨の朝。登校する短い時間だが赤、桃、黄、青などの傘の花。3人が横並びできない狭い通りいっぱいに咲く。その傘花は自由気ままに揺れていて、雨に打たれる紫陽花のようだ。
 私の子供の頃は麻木色の油紙を竹骨に張った番傘。小柄な私には重たかった。また長靴は黒一色たった。
 今は傘も雨靴も色とりどり。若いお母さんが「両方とも子供らにはファッションです」と教えてくれた。

    (2017.07.04 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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«「勉強遅くない」亡き父のおかげ