2010年1月 6日 (水)

「年 女」

      岩国市  会 員   樽本 久美

新しい年。5年間日記を買った「年女」の私。いつも以上に頑張らなくてはと思う。

 今年の目標は、大きな声では言えないが「はがき随筆月間賞入賞」である。私なりに、この人の随筆はいいなと思ったら、丸を付けている。3人の先生の評価と比べるのも、ささやかな楽しみである。「はがき随筆」を書いていると、いつかは実を結ぶのではないかと思う。

 毎朝、新聞を読むのが生活の一部になっている。私の名前が出た日は、晩ご飯が豪華になる。夫いわく「毎日掲載されればいいのになあ」。小さいことでも楽しんで書いていきたい。
  (2010.01.06 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2010年1月 4日 (月)

「原爆の悲惨さ 涙禁じ得ず」

     岩国市  会員  横山恵子

 私の本はズバリ、中沢啓治さんの「はだしのゲンはピカドンを忘れない」(1982年)です。私は原爆の研修を経て昨年10月から広島原爆資料館で月2,3回、ピースボランティアをしています。原爆に対して、正直こんなに大変で奥が深いものとは思ってもみませんでした。

 原爆に関する本を読んでいくうちに、この本に出会ったのです。中沢さんは小学1年の時、家から1キロの国民学校の塀の影で被爆。紙一重の奇跡で助かったのです。父、姉、弟は自宅倒壊や火事で死亡。身重の母は赤ちゃんを産んだが4ヵ月後になくなったとのこと。街には全身真っ黒こげの人や無数の遺体。防火用水には母が我が子を抱きしめながら亡くなっているなど、悲惨な光景だったそうです。

 戦後、被爆者に対する差別や偏見もあり、家族を奪った原爆のことは忘れたかったそうです。しかし、母を火葬にした際、骨がなく放射能は骨までも奪うのかと強い憤りを感じ、書くことを決意されたのです。岩波ブックレットの55ページの本ですが、原爆に対する怒り、悲惨さが凝縮されており、涙を禁じ得ません。

 アメリカのオバマ大統領はじめ核保有国、そして日本の政治家にはぜひ読んでもらいたい。原爆や戦争で亡くなった人たちの無念の思いを心に刻み、微力ですが平和を訴えていこうと思っています。

          (2010,01,04 朝日新聞「声」蘭 ”私の1冊”掲載) 

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2009年12月29日 (火)

「来年の計」

    岩国市  会 員   井上 麿人

 野球では1人のバッターが1試合にヒット、二塁打、三塁打、ホームランのすべてを打つことをサイクルヒットと言う。記録の達成はまれで運否天賦(うんぷてんぷ)。

 一方、投稿して待つはがき随筆。掲載されることはまれで歓喜と落胆。

 毎月発表の佳作を仮にヒットとし、残る二、三塁打とホームランを入選3作にあてれば、似て非なる「はがき随筆サイクルヒット」の誕生となる。古い記録も拾い集め、それでも足りない「塁打」は来年の計に決め、達成させよう!

 意味もなく正座などしていたら、傍らで妻がくしゃみをした。
   
(2009.12.29 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2009年12月28日 (月)

「不本意な仕分け」

   岩国市  会 員   沖 義照

 
友人が、買ったばかりのデジタル一眼レフで撮った写真を見せてくれた。小型デジカメで撮ったものとは比較できないほど鮮明に撮れている。

 私も以前から買いたいと思い、何度となく電器店に通った。カタログを眺めての研究も、し尽くした。店で実物を前にして、本当に必要か? 費用に見合った使い道はあるのか? と懐を気にしながら自問自答する。

 
デフレで物価は下がってきたというが、それに負けず入ってくるものも減っている。「やっぱりおれには必要ない」。本心とは裏腹なことを言い聞かせて、今日も店を出た。
   (2009.12.28 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2009年12月24日 (木)

「夢を贈る祖父サンタ」

   岩国市  会 員   吉岡 賢一

 いよいよメリークリスマス。小学校3年と1年の孫兄弟は、それぞれに思いを込めたプレゼントをサンタさんにお願いしている。「おれはね○○が欲しい。でもダメだったら、こっちでもいい」。年上らしい思いを披露したあにが「何をお願いするん」と弟に聞く。弟は一瞬考えて「もうちょっと勉強ができるようにお願いしよう」。すかさず兄が「それは七夕さんにお願いすることじゃろう」。「アッそうか。そいじゃ東北新幹線つばさ」こんな兄弟のやりとりを聞きながら私は一人、悦に入る。
 
二人は、プレゼントのお願いはサンタさん、気持ちの中にうごめくお願いは七夕さまと、ちゃんと使い分けているのだ。じいちゃんサンタは早速、弟の希望である新幹線模型を探しに走った。サンタが誰か、おおよそ気付いている兄。弟は、まだサンタの存在を信じている様子だ。さて、どこまで信じさせておくか。いつ夢を壊して現実に引き戻すか迷ってしまう。孫の成長に合わせて、かわいい悩みが、また一つ増えた。
  (2009.12.24 中国新聞「広場」掲載)

   

 

 

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2009年12月22日 (火)

「60通目の年賀状」

   岩国市  会 員    智之

 
初めて年賀状を書いたのは小学3年の時、担任の中村先生あてだった。

 
生徒思いの赴任間もない熱血先生は、ハーモニカが正確に吹けるようなるまで、跳び箱が全員跳べるようになるまで、放課後遅くまで練習に立ち会った。先生の賀状には必ず自筆のコメントが添えられ、60年の師弟関係は今も続く。 

教職を退かれてからは郷土の歴史研究家として、今までの新発見を元に多数の著書がある。先般も、慶長一揆で山代地方の庄屋が処刑された400回忌の法要と顕彰碑の除幕を行われ、大仕事が一段落された。今後ますますのご発展を。
   
2009.12.22 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2009年12月21日 (月)

「いい年が見えた」

    岩国市  会 員   片山 清勝

 
障子を張り替えたら「紙の種類は何?」と聞かれた。いつも障子の寸法に合う無地の品を買う。紙の種類など考えたことはない。 

 調べると、購入した紙は風合いと強度が低く、価格も最安値に近い。素人にも品質の低さが分かる。そんな目で、張り替えた障子を眺め直す。しわもなくパリッとした仕上がり。真っ白で部屋は明るくすがすがしい。冬の日を浴びて障子は気持ちよさそう。どこにも紙の悪さを感じさせない。

 仕上がりは紙質より出来栄えと気持ち。よし、これで障子を開けていい年がやってくるぞ、そう思って廊下へ出る。千両の赤い実が映えていた。
   (2009.12.21 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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「おばを偲んで」

     岩国市  会 員   横山 恵子

 「うさぎ追いしか…」という歌が流れると、故郷の山々亡き祖父母を思い出す。そして寂しいことに昨年12月、おばも山の懐に抱かれてしまった。50歳ごろ病気にな入退院繰り返していたが、決して希望を失うことなかった。私たちも奇跡が起こると信じていたが…。最期は穏やかな顔だった。
 家入れないぐいのたくさんの人たちに来ていただいた。荼毘に付される時、おぱの姉が大声で名前を呼ぶ声が部屋にこだました。あれから1年。先日親類が集まり法要が行われた。おばは父の。思えば随分世話になった。父が岩国市へ転勤になるまで約2年間同居していたこともあり、子どもころは、よく泊まりに行った。骨まで愛して食べてよと魚を差し出すような楽しいおぱだった。
 にぎやかったもちつき、茶摘み…。整埋しきれない思い出が今も心を駆け巡る弟がお墓参りした時、まで見たことのないほどきれいな虹がかかったという。きっと集まってくれたことを喜んでいるんだろうと話し合ったとのこと。おじが姿は見えんし、返事はないんじゃけど、いつの問か話しかけとるんよと言った。おばはそれぞれの胸の中で生き続けている。今、思い出しても涙が出るが、よくしてもらったことを忘れることなく生きていきたい。          

  (2009.12.21 中国新聞「洗心」掲載)

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2009年12月10日 (木)

「夜空を見上げて」

    岩国市  会 員   中村 美奈恵

 
イルミネーションの輝く季節になった。点いては消える光を眺めながら、この数力月いろんなことがあったなあと思う。

 暑さの残る9月、不況から勤め先を解雇された。6年働き愛着があっただけに悲しみは大きかった。今は求人も少なく就職難。希望の仕事に就けるのは10人に1人という。雇用保険の説明を聞きながら、これからの生き方を迷う。気持ちの整埋つかないまま、背中を押されるように面接を受けた。新しい会社では、すぐに仕事ができて当たり前。社会の厳しさも味わった。

「ふっ」。夜空を見上げ、ようやくをつく。
   
2009.12.10 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2009年12月 8日 (火)

「時の流れを」

       岩国市  会 員   吉岡 賢一

 母の1周忌を終えた。母のお城であり寝室であった部屋は、今やソファがどっかり応接間に変身した。

 毎朝、起きけにシャッターを開ける。人けのない寒い部屋が急に明るく生気を取り戻す。壁や天井に埋め込まれた母の目を感じるときがある。そのたびに、もっと優しく、ああしてこうしてあげたらよかったのに、と頭をもたげる自責の念は相変わらずだ。ただ目の前の悲しさに追われるだけではなく、遠い昔や幅広い母の全体像を思い出すゆとりが、出てきはじめた。

 

 1年という時の流れか、気持ちは随分柔らかくなってきた。
  
 (2009.12.07 毎日新聞「はがき随筆」)

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