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2006年7月21日 (金)

「いのち輝け」

    岩国市    会員     嶋田 光子

 いつごろからなのだろう。雨の日には習性のように暇さえあれば窓際に佇んでいる。もとより、雨の日はいつもよりかほっとする、というところはある。

 ものみな一様に濡れながらも、各々、その場所や位置によってその反応の微妙に異なるのにひかれたり、また、時折、濡れ撓っては弾いて跳ね返る、藍色の紫陽花の上に来し方を重ねたりして、思いは果てなく浮遊する。

 劫初より連綿と、ほんのわづかな結縁から、偶然に父祖の血を受け継いでこそ今ここにあること。また、、森羅万象の絶えざる生滅輪転の流れに依り、奇跡的に得た生存因子の集大成としての生活環境や、さまざまの要素が因となり縁となりながら今、まさに希有なる呼吸を享受していること。

 さらには、この生命を構築している何万億かはかり知れない細胞たちー。時々刻々、一瞬たりとて止まることなく、生と死との転生をはたらきずめに働き、活動していてくれたればこそ……。

 と思いをめぐらして見ていると、梔子の花ものうぜんかずらの花も、生生と、今を限りと精一杯いのち輝かしている強靭なひたむきさが、ひとしおいとおしくて眩しい。

 ともあれ、生来の弱い体質でよくもまあ、と思う。それというのも、昨年来から、自他ともに元気印を認め、順風満帆に第一線で活躍中であった友人の、数名の訃報が続いたのである。

 ショックははかり知れない。「なしてこんなわたしが残されとるの」と、ついつい深い羞恥と呵責の念に苦しむ。これまで九死一生の危機に瀕したのは二度や三度ではなかった。よほど業の深い女なんだ、と振り返えざるをえない。

かと云って、こればかりはせんないこと。ならばこの際開き直って、永年のモットーである「一日一生」を、今一度新たなしるべとして、ともかく一歩ずつ、半歩ずつ歩むんだよ。と亡き友人たちの魂魄が背中を押してくれているような気持ちに、辛うじて乗じられるようになった。

 うん、そうか、わかった。一日一日、こころのパレットに感性という絵の具を溶かして、いのちという一枚きりの紙に、私独自の絵を描こう。まっさらな、あるがままの喜怒哀楽をぶっつけてみよう。とわれに返った。

 風が出たようである。雨脚も疾くなった。篠突く雨に打たれながら、それでも空を掴もうと、いよいよ情念の炎を燃やすかのように、のうぜんかずらの花たちがしたたかに、また、艶やかに微笑し合っているように揺らぎはじめた。  (2006.07.21作)

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