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2006年12月

2006年12月25日 (月)

「朝食を大切に」

   岩国市  会 員   沖 洋子 

 朝ごはんを食べないで学校へ行く子どもが増えているという。一食でも抜くと成長期では将来に大きな問題が出てくるのに、なぜだろう。

 大人にも同じことがいえる。食事勉強会で、ある年配の人は必要な食品の品数と必要な量をきちんと取っていた。栄養計算をしても、必要なカロリーや各栄養素がバランスよくとれていた。

 それに比べて、若い人の中には、必要な食品が品数・量ともに足らず、大変偏った食事を取っている人が多くいた。これでは体に必要な栄養分をバランスよく取ることができないばかりか、エネルギーも不足してしまう。

 一日に必要な栄養の三分の一は、是非朝ごはんで取りたいものだ。必要な栄養が摂れなかったからといって、今食べた結果がすぐ体に出るわけではない。このくらいのことは大丈夫などと思わないで、一食たりともおろそかにせず大切にしたいものだ。

 ある調査によると、朝ごはんを毎日食べる子は、全く食べない子より頭の働きが良い傾向にあったということである。このような話を聞くと、明日からは朝ごはんをきちんと食べさせようという気持ちになる。

 一食たりとも朝ごはんを抜いたりせず、健全な食生活を志して行きたいとあらためて思っている。
   
2006.12.22 中国新聞「広場」掲載)

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2006年12月20日 (水)

「虫の知らせ」

   岩国市   会 員    片山 清勝 

 夕食になってすぐ「明日病院へ行く」と母に言った。食事中、何かにせかされている気がした。

 食べ終えて「今から行ってくる」と病院へ。父は急な訪問に驚いたが、笑顔だった。消灯近くになった。帰り支度を始めた時、「お母さんを頼む」と言った言葉が最後になった。

 くも膜下出血の再発。当直は主治医だったが、2時間後に父は両親のもとへ逝った。なぜ夕食後、急に病院へ急いだのかわからないが、これを虫の知らせというのだろう。

 そのため父の最期の言葉を聞き、臨終に立ち会えた。40年前のことだが、父の享年を10歳超えた今も思い出す。
   (2006.12.20 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2006年12月19日 (火)

「夫のレシピ」

     岩国市   会 員    鈴川 汎子

 「男子厨房に入らず」までじゃないけど、料理に無縁の夫が余儀なく留守番となった。頼るはコンビに弁当、ファストフードだった。

 ある日、手に紙と鉛筆。「料理してみるけえ、教えてくれ」。①サラダ菜を採る②洗う③器に入れる④ドレッシングをかける。すべて筆記。

 紙は増えるがレパートリーの膨らみは小。「ねえ、原始人になったとしたらどうする?」。表情が変わった。

 応用編のレシピが頭の中で回転し始めたらしい。紙はいらなくなった。「うまいけえ、食うてみい」「お前がおらんでも生きられる」。

 私はえらい奥義を伝授してしもうたらしい。
   (2006.12.19 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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「デジカメ」

      岩国市    会 員    角 智之

 趣味で使用しているフィルム1眼レフカメラに加え、デジタル式を購入した。

 デジタルはレンズを通過した光がフィルムに相当する受光撮像素子(CCD)に到達すると、光の強弱を電気信号に変換し、さまざまな画像処理回路を経てデジタル化され、メモリーカードなどの媒体に蓄積される。

 ユーザーに共通した最大の魅力は、撮影した写真を液晶画面により、その場で確認でき不要になれば消去して繰り返し使用できることだ。

 また、目的に応じて好みの画質に設定することもでき、シャッターを切るたびに露出値や焦点距離などのデータが逐一記録される。

 被写体の色調を正しく補正するホワイトバランスや仕上がりのコントラストを意図的に操作し、こだわりの写真作りができるのもデジタルならではの機能だ。

 最近、CCDの画素数が飛躍的にアップし、室内でも補助光を使用せずに鮮明な写真が撮れるのには驚いた。

 ただ、小型軽量化、バッテリーの能力アップなどにも目を向けてほしい。今では、プリンターに直接メモリーカードを差し込み、手軽に写真を楽しむ時代の到来で、カメラも「家電」の仲間入りだ。

 自分なりに気に入った写真作りのため、ぶ厚いマニュアルを見ながら奮闘が続く。
   (2006.12.19 中国新聞「広場」掲載)

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2006年12月16日 (土)

「核廃絶訴えていこう」

   岩国市   会 員     横山 恵子

 六カ国協議が早く開催され、進展があることを望むばかりだ。核を交渉の道具にしている北朝鮮に対しては、怒りの念を禁じ得ないのはもちろんだ。

 だが即、核武装を唱える政治家には、被爆国としての立場を分かっているのかと情けなく思う。

 核兵器は、人殺しの道具以外の何物でもない。広島・長崎に投下された原爆は、800度から1000度という想像を絶する高温で市内を焼き尽くし、今も後遺症に悩んでいる多くの人がいる。

 それなのに、米国などは核実験を頻繁に行ってきた。実験といえども放射能をばらまき、地球を汚染してきた。異常気象の原因の一つかもしれない。

 今もなお、多くの核が貯蔵されていると言う新聞記事に暗い気持ちになった。だが、先日、米国の退役軍人が原爆資料に涙を流し帰国後、核廃絶を訴え、その死後、保険の一部を原爆資料館に送金されたとの記事を読んで、心に国境はないと思った。

 しかし、なお米国は実験を伴わない新型核を開発しようとしている。被爆国として、米国へ言うべきことは言ってほしい。

 核兵器廃絶を求める署名活動をしている長崎の高校生の「私たちは微力だが、無力ではない」という言葉に勇気をもらって、私も核廃絶を訴えていこうと思う。
   (2006.12.14 中国新聞「広場」掲載)               

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2006年12月 9日 (土)

「古い年賀状」

   岩国市   会 員    沖 義照

 ある物を探しに納戸に入ると、古いはがきが落ちているのを見つけた。今から13年前、入退院を繰り返していたひとり住まいの母へ、私が出した年賀状だった。

 「暮れに体調を崩しましたが、もう大丈夫です。正月には帰れませんが、3月中旬には出張の折に帰ります」と書いている。

 私は退院した直後であり、気になりながらもなかなか帰省出来ないでいた。その年の3月、帰省する直前の出張先の宿で母が亡くなったことを知らされた。

 ひとりぼっちの正月、この年賀状を寂しい思いで読んだだろうと思いながら、そっと指で文面のほこりをぬぐった。
     (2006.12.09 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2006年12月 5日 (火)

「朝寝・朝酒・朝湯だ~」

     岩国市   会 員    沖 義照

 遅く起きた朝、東京にいる長男から妻へ誕生日の贈り物が届いた。「純米大吟醸原酒限定品」とのラベルを貼った生酒が入っていた。

 私に似て酒に弱い息子が、酒に強い妻に冷酒のプレゼントをしてくれたものであった。

 私だって酒は嫌いではないが、いままで息子から贈ってもらったことはない。嫁の発案だろう。気の効いたプレゼントをもらったと、妻は大喜びをしている。

 昼飯までまだ時間がある。折角冷えた状態で届けられている。「少しだけやってみるか?」と時ならぬことを言ってみると、「飲んでみましょうか」と意見は一致した。

 江戸切り子に注いで飲んでみた。濃くて甘く、上品な味がした。もう1口づつ飲んで栓をする。4分の1が減っていた。

 いい気分になって新聞を読み始めたが、しばらくすると眠たくなってきた。朝酒、いつ以来だろう。新入社員時代、職場旅行の温泉宿での朝、大先輩に勧められて飲んで以来のような気がする。

 妻にお付き合いするとの言い訳で、息子・嫁・孫の顔を思い浮かべながら、朝から冷たいお酒を飲んでみた。

 心は温かく頭は次第におぼろになっていく。その時、「ジリジリ」とタイマーが鳴った。さあ、次は朝湯だ~。
    (2006.12.05中国新聞「広場」掲載)

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2006年12月 3日 (日)

「カサブランカ」

      岩国市   会 員   稲本 康代  

 夫の67回目の誕生日のことである。名古屋に住む娘から、カサブランカの大きな花束が届いた。添えられたメッセージカードを読んでいると、涙があふれて仕方なかった。  

 今から15年前、高校受験に失敗した娘は、次々と私の想定外のことをして変身した。スカートの丈は長くなり、学校へは遅刻の常習犯で、母親の私は何回も呼び出しを受け、注意 された。

 怒り嘆く私を、夫はいつも温かく励ましてくれた。「大丈夫だよ。いい子なのだから、もう少し待ってやろうよ」と。

 社会人になった娘に、いい巡り合わせがあり、今は2人のかわいい子どものママである。あのころの彼女からは、考えられない姿である。  

 1年に3回、花が届く。夫の命日と誕生日、そして「父の日」。必ず白いカサブランカを贈ってくれる。今年で6回目である。  

 「パパ、うれしいね! 今年も花が届いたよ」。仏壇の写真が、微笑んだようである。

        (2006.12.03 中国新聞「広場」掲載)

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