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2007年8月

2007年8月30日 (木)

「禁煙25年」

  岩国市  会 員  片山 清勝

 

 それは休日の朝、たばこの買い置きが切れたときに始まった。あとで出かけたときに買うから、と起きがけの1服をあきらめた。だが、買わないまま25年がたった。

 2日目に女子社員から「体の調子が悪いのですか」と、上司からは3日目に「無理しないように」と声がかかった。「いや、吸ってないだけです」と意味不明の返事をした。喫煙の一時中止かと思っていた妻も、1週間たったころ禁煙らしいと気づいた。

 禁煙は難しいという。でも、子どもの誕生を機に社内誌で「絶煙」を、小学生の娘さんからのたばこをやめてという手紙から「禁煙」をそれぞれ宣言し実行した同僚がいた。2人は禁煙の苦労を見せなかった。それは家族愛から出た本当の禁煙だったと思った。

 起きがけの1服をやめてから25年、今も私の禁煙は続いている。これは何も「宣言」していない、だからいつからでも吸える、という気安さからだと思う。こんな心中を知らずに、完全禁煙したと妻は信じ喜んでいる。いまさら裏切れない。

 25年前たばこを買わなかったのは、たばこを好きでなかったのかなと考えながらも、喫煙所での楽しんだ会話とそこに漂っていた煙のにおいを思い出す。

  (2007.08.30 中国新聞「広場」掲載)

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2007年8月29日 (水)

「古い文庫本」

岩国市  会 員  沖 義照

 
大学に入り、片道1時間の汽車通学をした。車内で毎日手にしたものは、教科書ではなく、いろいろなジャンルの本であった。しかし、高価なものは買えない。安い文庫本を買うことに決めていた。

 今、我が家の書棚には当時の文庫本がそのままの姿で並べてある。半透明の薄い紙のカバーが日に焼けて茶色に変色している。その内の1冊を抜き出してみた。「出家とその弟子」(90円)と書いてある。

 喫茶店でコーヒー1杯が50円の時代であった。懐かしくページをめくっていると、赤いインクで線が引いてある所があった。「誰もが一生に一度は恋をするものだ。人間の一生の関所のようなものだよ。この関所の越え方の如何で人の生涯は決まるといってもいい」と言うくだりである。

 
私が恋もどきで悩んでいた頃のものだろう。一瞬、半世紀前のまだ青かった頃の自分を思い出す。この古い文庫本はほこりをかぶっていて、これまでに何度も妻から「汚いからもう捨てて下さい」と言われ続けてきた。しかし、妻よりも古くから付き合ってきた人生のパートナーであり、私を育ててくれた大事な友なので、そう簡単に別れることは出来ない。

(2007.08.29 朝日新聞「声;特集『文庫本』」掲載)

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2007年8月28日 (火)

「留守番」

  岩国市  会 員  安西 詩代

 兄夫婦が旅行するので「空」という10歳の犬を預かった。「決してお前は捨てられたのではないヨ。12日間だけ辛抱すれば、また今まで通りの生活になるのだから」と説明した。

 しかし、その夜玄関でクンクンと悲しげに鳴く。あまりに可哀そうなので、1晩そばに寄り添った。次の日より私から離れない。ゴミ出しに行くと、遠ぼえが「私を置いて行かないで~」と聞こえる。食事も胆石があるので決まったドッグフードだけ。

 これでは石よりストレスがたまる。鶏のササミやイリコで野菜スープを作ってやった。おいしそうに食べる。でもこれは内証だよ。

  (2007.08.28 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2007年8月27日 (月)

「家族がいれば母は頑張れる」

     岩国市   会 員   横山恵子

 「父さん、病院へいったほうがいいよ。行かんのなら僕が有給とってでも連れて行くからね」。2年余り前、息子の結納のため大阪へ行ったとき、夫の歩き方に違和感を覚えた息子からの一声だった。

 医者嫌いの夫もさすがに観念したか病院へ行き、脳梗塞と診断された。1ヶ月入院したが右足が不自由になった。そのうち良くなるだろうと思っていたが、目に見えて回復はしない。

 夫は糖尿病が原因だったが、生活習慣病は検査結果が悪くても普通に暮らせるので、治療や生活改善をしない人が多いと思う。しかし気づいたときは長いリハビリが必要だったり取り返しがつかない状態だったりということが少なくない。

 しかしこの病気は手足のしびれ、言葉のもつれなど必ず前兆がある。夫ははしを落とすなどの症状があった。そのとき無理にでも病院に連れて行っていたらと後悔している。

 食事に気を配り、「話すこともリハビリになるんよ。口を動かさんと」と叱咤激励する。末っ子の「母さんが支えてきたから父さんもここまでこれたんよ」との言葉に救われた。

 私も支えてくれる家族がいるから頑張れると思う。
  (2007.08.27 朝日新聞「声」掲載)

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2007年8月21日 (火)

「星野ワールド」

   岩国市   会 員   角 智之

 山口県周防大島町にこの7月、オープンした「星野哲郎記念館」に行った。星野さんと言えば、「兄弟船」「尾道の女」「みだれ髪」など、数多くのヒット曲を生み出した郷土が誇る作詞家である。

 正面入り口では星野さんのさまざまなポートレートが入館者を迎える。代表作などを音響やパノラマ画面で楽しめ、カラオケスペースでは膨大なヒット曲の中から好みの曲を歌いながら、星野ワールドが体感できる。

 壁にはレコードのジャケットが年代順に飾られ、時代の流れを感じることが出来る。最も興味深かったのは、ミリオンセラーなどの原盤が数十枚もあり、レコード全盛時代の一端を垣間見ることができる。

 星野さんは若いころ大病を患い、船乗りになる夢を捨て1957年、美空ひばりの「浜っ子マドロス」で作詞家デビューを果たし、翌年には島倉千代子の「思い出さん今日は」が大ヒットした。後に、この作品の作曲は古賀政男が担当すると言われ、しばらく震えが止まらなかったと回顧されていた。

 あれから半世紀。作品は四千曲を超えた。記念館は星野ミュージアムとして町内外の多くの人々の憩いの場になって欲しいものだ。

  (2007.08.21 中国新聞「広場」掲載)

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2007年8月19日 (日)

「ツーショット」

   岩国市  会 員  沖 義照

 半年かけて準備した高校の同期会は無事に終わった。出来上がった集合写真と、各人が撮った写真を封筒に入れてそれぞれに送った。

 同期会の当日、私はデジカメを持って早めに会場に出かけた。開宴中は、世話役であることなどを忘れ、懐かしい友を探し旧交を温めて歩いた。

 しばらくして自分の席に戻ったとき、後ろから私の名を呼ぶ女性の声がした。振り向くと、中学で同級であったNさんだった。美人で才媛だったが、今も美しい人だった。

 高校時代、Nさんのファンは多かったという。私もそのひとりだったが、ひそかに思っているだけで、何ごともなく高校生活は過ぎ今日に至っていた。

 隣の席に座り学生時代の話をしたが、どうも落ち着かない。声が上ずる。昔の淡い想いをそのまま引きずっているかのようで、自分でも変なのが分かる。

 その時、数人の友達がやってきた。「おお、ちょうど良かった。写真を1枚撮ってくれないか」。私のデジカメを渡し、Nさんとの初めてのツウーショットを撮ってもらう。「おい、顔が赤くなっているぞ」と冷やかされつつ写真に納まった。

 プリントした何枚もの写真をそれぞれの封筒に入れて発送した。その中の1通に私はNさんとのツーショットをそっと入れた。

  (2007.08.19 毎日新聞「男の気持ち」掲載)

                                          

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2007年8月17日 (金)

「千の風」

     岩国市  会 員   井上 麿人

 今年は例年より1週間早く帰省し、墓参りをした。体の弱くなった兄に代わり、墓掃除を引き受けたからだ。雑草、落ち葉、虫の死骸。1時間ほどで終わった。

 墓の前に立つと、いつもの心の雑音が消える。透明な時間が過ぎていく。うっそうと茂るブナの葉に透過光が柔らかく差し、葉脈を浮かび上がらせる。

 夏の午後、セミの声もなく静寂が支配していた。手を合わせた時、心の中に突然、<私のお墓の前で泣かないでくださいー>の歌が浮かび、我に返った。そして聞こえてきた音は、千の蚊の合唱だった。

  (2007.08.17 毎日新聞「はがき随筆」掲載) 

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2007年8月16日 (木)

「ある将校さんの死」

   岩国市  会 員   檜原 冨美枝

 1945(昭和20)年5月10日朝、空襲警報のサイレンとともに敵機が襲来、B29が編隊を組んで波状攻撃を始めた。狙いは山口県和木町(旧和木村)にあった陸軍燃料廠であった。

 当時、岩国市の東部にあった病院に研修生として派遣されていた私は、幸いなことに難を逃れることができた。しかし、時間がたつにつれ、大勢のけが人が次々と担架で運び込まれた。

 私も1人の若い兵隊さんを看てあげるように命じられた。その人は右の臀部をえぐり取られ、出血多量で息も絶え絶えであった。私はなす術を知らず、ただ「頑張ってください」と励ますだけであった。そのうちにうめき声も消え静かになった途端、彼は大きく手を挙げて「お母さーん」と叫んで事切れた。

 私は泣くことも出来なかった。ご両親が健在なら、なんとかこの状況を知らせてあげたいと思ったが、私たちの力ではどうすることも出来なかった。62年たった今も、あの日のことがまざまざと思い出され、涙がとまらない。
  (2007.08.16 朝日新聞「声」掲載)

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2007年8月15日 (水)

「子どもは遊びの天才」

   岩国市  会 員   安西 詩代                

 3人目の孫が生まれるので、夏休みに入って小学4年と2年の兄妹を預かった。いつもだと携帯ゲーム機を持ってきて、他のことには見向きもせずに2人してゲームに熱中するのだが、今回は違った。

 私たちがゲームを嫌いなのを知っているお嫁さんが、子どもたちに「ゲーム禁止令」を出したらしい。子どもたちが我が家にいた2週間の間、1回もゲームをしたいとは言わなかった。

 兄はいろいろな遊びを考え出した。古いカレンダーを使ってバスケットボールのバスケットのような物を作って壁に張り、紙を丸めたボールをいろんな角度からシュートする。自分でルールを考えて紙に書き、得点を競った。

 カレンダーで飛び出す絵本を作ったり、色紙を何枚か重ねて1番上の色紙を透ける模様に切り、下の色紙の配色、分量を考えて素敵な作品を作ったりした。

 台所からタマネギやピーマンを持ってきてデッサンをしたり、外で虫を捕まえたり、夜になると図書館から借りてきた紙芝居を2人で交代に読み、私に見せてくれたりした。

 子どもは本当に遊びの天才だと感心した。お嫁さんのゲーム禁止令が、孫だけでなく夫や私たちにとっても素晴らしい時間を作ってくれた。そればかりか2人はたくさんの作品を残してくれた。夏の間、壁に作品を張ったままで過ごそうと思う。

  (2007.08.15 中国新聞「広場」掲載)

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2007年8月11日 (土)

「もう一つの戦争体験」

  岩国市  会 員  片山 清勝

 父の徴兵検査は甲種合格なのに赤紙が来ず、周囲の人を送るばかりで肩身の狭い思いをした、と母から何度か聞かされた。  

 だが、父は広島に原爆が投下された日、公務で広島に入り被爆。その症状に苦しんだ。広島で目にした惨状に比べればと思ったのか。出征しなかった負い目もあったのだろう。父は一度も自分の被爆を嘆くことはなかった。

 被爆から21年目の夏、父は50代半ばで急逝した。出征しなかったことで苦悩した父。それを、もう一つの戦争体験として伝えたいと願っていたが、叶わなかった。
 (2007.08.11 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2007年8月 7日 (火)

「猫と杓子と公衆電話」

    岩国市  会 員   吉岡 賢一  

 「駅の喫茶の公衆電話、いつかかけていた……」。
 公衆電話ははやり歌の主役を務めるほど一世を風靡した。実生活の中でもずいぶんお世話になってきた。お酒が入り、最終電車の発車前、駅のホームで受話器を握り、「これから帰る」と一言。到着駅にカミサン運転のクルマが待っていた。

 街角、駅前、タバコ屋さん……至るところに顔を出し、誰からも愛され重宝された。また誰彼の分け隔てなく、情報交換手段の王様として、10円玉で人間社会を側面から支えて来た公衆電話。

 ああそれなのに、人間の果てしない利便性への欲望や、めまぐるしく加速される時代の奔流に呑み込まれ、その姿が一つまた一つ消えていく。還暦をとっくに過ぎた今、華々しく追い求めた青春時代の夢や恋物語が、年齢と共に脳裏から消えていく寂しさに似ている。

 一方で洪水の如き勢いで進出してきた携帯電話。まさに猫も杓子も手にしている。在りし日の公衆電話を懐かしむ気持ちの裏で、使いこなすのに悪戦苦闘しながらも、その便利さにいつしか負けて、手放せない猫や杓子の仲間入りとなった。

  (2007.08.07 朝日新聞「声」掲載)

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2007年8月 6日 (月)

「孫たちの不安」

     岩国市  会 員   安西詩代 

 昨年の夏、「おばあちゃん、原爆落ちないよね」と玄関を入るなり広島に住む小学2年の孫娘は私に駆け寄ってきた。

 わたしはびっくりして「大丈夫よ、戦争をしていないのだから原爆はおちないよ」と答えた。広島の小学校では原爆のビデオをみたり、6日の慰霊祭には登校して話を聞いたりしている様子だ。

 孫は「よその国と仲良くしていると戦争はしないよね」と念を押してくる。 「日本は戦争をしないと誓った国だから決して戦争はしないよ」と答えたものの、私も誰かに聞いて確かめてみたい気になった。

 一方、小学4年の孫息子は先日、「どうして選挙にいくの」と聞いてきた。「一部の国会議員の人が戦争もできる国にしようとしているのよ」というと「戦争になったらお父さんが行くのでしょう。僕は嫌だ」と孫。「だからおばあちゃんたちがそれを止めるために選挙に行くのよ」と話して聞かせた。

 孫たちが将来に不安を抱くことがないようにしたい。そのためには私たち大人が不安を解消させ、日本を良い方向に進めていきたいと願う。
   (2007.08.06 朝日新聞 「声」掲載)

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2007年8月 2日 (木)

「ありがとうを大切に」

     岩国市  会 員      樽本 久美

 7月28日付の投稿「妻のありがたさ実感」を読んで、その通りだと思った。何でも妻がやって当たり前。食事を作るのも、洗濯をするのも当たり前。

 もちろん、男の人が外で働くことは大変なことである。私も働いているので、働くことの大変さは少しは知っている。お互い、できることは協力すべきだと思う。一言「ありがとう」、「お疲れさま」と優しい言葉をかけてくれたら、妻としては頑張っていけるのに。日本の多くの男性はそれがなかなかできないようだ。

 外国人の男性は家事もよく手伝うようだ。団塊の世代がこれから大量に退職する。退職してから邪魔にならないように、男性も今から少しずつ家事をやっていく方が良いのではないだろうか?

 「他人だと思えば妻はありがたい」という川柳はなかなかのものだと思うが、「他人だと思えば夫はありがたい」という川柳が詠まれる時代がきてほしいものである。

 「ありがとうお互い様で支え合い」。私が去年作った川柳である。「ありがとう」という言葉を大切に使いたいものである。

  (2007.08.02 中国新聞「広場」掲載)

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2007年8月 1日 (水)

「ヤッホー」

        岩国市  会 員   檜原 冨美枝

 朝6時、玄関を出て大きく深呼吸する。雲一つない真っ青な空の下、足取りも軽く神詣で。帰路はジョギングも兼ねて錦帯橋まで足を伸ばす。

何気なく眺めるお城山も日々表情は違う。山にも顔がある。暗い顔、さわやかな顔、寂しそうな顔。今日の山は笑っている。「ヤッホー」と呼んでみた。

友は、あなたは幸せそうネーと言うが、私の心にも起伏はある。ただ、神様は健康という大きな宝物を授けてくださった。これに感謝し、生きている、生かされている喜びを胸に、一日一日を大切に生きて生きたい。もう一度、山に向かって「ヤッホー」。

   (2007.08.01 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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