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2007年12月

2007年12月26日 (水)

「中也」の舞台

     岩国市  会 員   樽本 久美

 クリスマスイブに岩国で、中原中也の「アンソロジー『中也の時間』」が公演された。大好きな中也の生誕百年を記念した創作公演。公演前から楽しみにしていたが、期待以上のものであった。

 30歳で人生を終えた中也。あまりに短すぎる人生であったが、濃い人生であったようだ。しかし死んでは駄目で、やはり生き抜いていかなくてはいけないと思う。


 演劇や詩吟、舞踊、ダンスを交え、公募出演者も参加して多くの人の努力と協力で公演された「中也の時間」。本当に見応えがあった。

 第1部の大正琴と尺八の演奏も、なかなかのもので、大正琴でベートーベンの「運命」を聴くことが出来て新しい感覚の大正琴の音色を堪能した。


 第3部の歌声もクリスマスイブにふさわしい歌声であった。中でも「浜辺の歌」「赤とんぼ」の愛唱歌は、懐かしい日本の古里を思い出させてくれた歌であった。歌い続けていかなくてはいけない歌である。


 最後に「きよしこの夜」をペンライトで、みんなが歌って締めくくった演出には温かいものを感じた。大学で「ハレルヤ」をキャンドルを持って歌ったことを思い出した。
 (2007.12.26 中国新聞「広場」掲載)

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2007年12月23日 (日)

「訴因変更」

   岩国市  会 員   角 智之

 昨年8月、飲酒運転で追突して3児を死亡させたとして、危険運転致死傷罪などに問われている元福岡市職員について、福岡地裁は業務上過失致死傷と道交法違反(酒気帯び運転)の罪を予備的に加える異例の「訴因変更」を命じた。

 元職員は事故直後、大量の水を飲み、一時所在が不明になるなど証拠隠滅に奔走し、消防への通報も大幅に遅れた。

 追突され海に転落した両親は、自身も負傷しながら必死で子供たちの救助に当たった。元職員がすぐに消防に通報し、同乗者と協力して3児の救助に当たっていたら助けられた可能性が高かった。


 訴因変更により危険運転致死傷罪の適用が難しくなった。呼気によるアルコール濃度は、あくまで参考値で、聞き取りによる飲酒量や酔いの程度、事故の重大さなどを考慮すべきだ。

 飲酒運転撲滅運動が全国に広がるきっかけとなったこの事故を、道交法違反などで片付けることへの抵抗感はないのか。判断を誤ると世論の批判を浴びることになるだろう。

 (2007.12.23 中国新聞「広場」掲載)

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2007年12月 3日 (月)

「逃げた閻魔さま」

   岩国市  会 員   檜原 冨美枝

 急に寒波が訪れ、インフルエンザにかかってしまった。のどは痛い、せきは出る。鼻水はポトポト。涙も出て頭も痛い。病院に行くと抗生物質が処方された。

 高齢者のインフルエンザは死につながる恐れがあると誰かが言っていた。なーに、これくらいの風邪で死んでたまるか。

 賞味期限はとっくに過ぎ、あきらめもつく年ではあるが、まだまだこれからが本番。しっかり食べて、しっかり書きたい。 

 いくらお迎えが来ても簡単に閻魔さまの元へ行くわけにはいかんと息巻いていたら、どうやら閻魔さま、方向を変えて逃げたらしい。
  (2007.12.03 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2007年12月 1日 (土)

「京都で親孝行 心いっぱいに」

   岩国市  会 員   横山 恵子

 先日、息子夫婦らが住んでいる京都で、総勢10人が集まり、私の両親のダイヤモンド婚を祝う会をした。両親には内緒にしておいた。発起人の妹があいさつしたら、母は「まあ、びっくりした。ありがとう」と涙ぐんでいた。

 母は子育てなどで、あっという間の60年。一口に言っても山あり谷ありだったろう。それを子に対する愛情や忍耐で乗り越えてきたと思う。昔話から政治のことまで話は尽きなかった。

 父は戦時中、中国・杭州でトラックの荷台に乗り移動している時、車体が傾き、クリーク(水路)の中に逆さまに転落。これで最期かと思ったら後のトラックが事故に気づき車を引き起こしてくれ、危機一髪で助かった。

 この世で戦争ほど残酷なものはないとも言った。父が助かったからこそ私たちはこうして生かされている。感謝しなくては。親孝行のまねごとができ、息子の私への孝行もあり心もおなかもいっぱいになった。明日からまた頑張ろう。
    (2007.12.01 朝日新聞「声」掲載)

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