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2008年8月

2008年8月31日 (日)

「サボり心の功名」

        岩国市  会 員   吉岡 賢一

 先日夕方、出先で突然の大雨に見舞われた。この分だと、今日ばかりは家庭菜園の水やりから開放されるぞと、雨の様子を聞くためわが家に電話を入れた。慌ただしい声で「今帰ったところよ」と言う。

 はて? どこへ行くと言っていたかいな。覚えがない。しばらく間を置く。

 「そっちはどんな?」と聞いてみた。「小さな影はあるけど問題ないみたい。今後はエコー検査を増やすそうよ」

 思い出した。婦人科疾患で先日受診した精密検査の結果を、病院へ聞きに行く日だったことを。

 検査結果を心配して電話して来たと思い込んでもらえたおかげで、こちらの曖昧な聞き方に、すべてまっとうな返事が返って来る。当然ながら「そりゃーよかった」を連発した。最後にちょこっと雨の様子を聞くと、案の定我が家周辺は降っていなかった。

 菜園の水やりをサボりたい気持ちから、たまたま入れた電話によって、忘れていたカミサンの一大事を思い出し、面目を保った。

 馬の背を分けると言われ、局所的に大雨を降らす夕立に遭わなかったら、電話もしていなかっただろう。家に帰っても、カミサンから言い出すまで一大事に気付かなかったに違いない。まさに「けがの功名」。いや「サボり心の功名」と言うべきか。
2008.08.31 毎日新聞「男の気持ち」掲載)

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2008年8月29日 (金)

「悲 鳴」

   岩国市  会 員   中村 美奈恵

 ギャー。私の声は近所に響き渡ったらしい。野球少年の息子の頭は、私が刈ることに決まっている。

 バリカンに6㍉のアタッチメントを付け、頭にそって刈っていく。耳の周りとすそをそろえて出来上がり。

 不ぞろいなてっぺんが、ちょっと気になる。最後の仕上げとバリカンを当てた途端、悲鳴が出た。息子の頭に4*3㌢の地肌が見える。しまった!アタッチメントを付け忘れた。どうしよう。

 
 翌朝、頭にガーゼを当てた息子と私は帽子売り場に。息子が気に入ったのは高いけど、仕方ない。あー、夏休みもわずか。息子の髪が長く伸びますように。

2008.08.29 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2008年8月28日 (木)

「心は60歳」

    岩国市  会 員   安西 詩代

 グループホームにいる94歳の義母の介護認定更新があった。ケアマネジャーのあいさつに、母は「あなた、美人ね」と答えた。要介護は手心が加えられるのか?

 
 日常行動は、すべて介護が必要だ。だが「もちろん、全部一人でしています!」と質問に不満顔。

 足も手も思い切り高く上げ、足取りも軽やかに歩いてみせる。背筋もしゃんと伸びている。「お幾つですか?」「そうね、60歳かしら」。

 いつもと違い、はきはきと自信に満ちた会話に驚く。長い人生の中で、息子が結婚したころが一番充実して、幸せだったのだろう。母の心は、60歳に戻っていた。

   (2008.08.28 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2008年8月24日 (日)

「青黒い海」

岩国市  会 員   沖 義照

5歳になったばかりの昭和22年3月、トラックの荷台に積まれた大きな荷物の間に乗せられて大連港に向かった。数日間倉庫の中で待機したあと、今度は引き揚げ船に乗せられた。

 大きな船が港を出た。翌日、船の底から母に手を引かれて甲板に上がり、大勢の人とただ一点を見つめていた。「ボーー」と、ひときわ長く低く汽笛が響いた。その時、青黒い海に向かって大きな白い箱が斜めに滑って落ちていった。

 箱は波間に浮かんだまま、ゆっくり遠ざかって行った。たった数日の引き揚げ船の中で、こんな光景を何度か見た。故国を目の前にして命尽きた人の水葬であることは後で知った。

きらきらと光る明るい瀬戸の海を見るとき、60年前に見たあの底のないような青黒い海での出来事を、ふと思い浮かべるときがある。

 大連にいるとき幼なかった私には、戦争につながる記憶は何もない。苦しかったとか、ひもじかったとか、怖かったという記憶も。

 ただ、引き揚げ船の甲板で見たこの光景だけは鮮明に記憶している。あの時のあの人たちは、あの海の底で今も静かに眠っている。

 引き揚げてきた日は昭和22年の3月18日だったという。

 8月15日、今年も終戦記念日のサイレンを聞きながら1分間の黙祷をした。戦いに敗れて63回目の夏。   
  (2008.08.24 毎日新聞「男の気持ち」掲載)

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2008年8月23日 (土)

「孫と遊ぶ大切な時間」

        岩国市  会 員   吉岡 賢一

 夏休みの思いで作りのお手伝いで、小学2年と年長の孫兄弟を引き連れて廿日市市のちゅーピープールに出かけた。

 大波発生や流水プールをはじめ、ウオータースライダーという大型流水滑り台など、幼児向けから大人用までまさにお好み次第。

 着いた途端にやる気満々の二人。今ここにいたと思えばもうあちら、あちらと思えばもうその次へ。監視員の目は行き届いているものの、うれしさ余って何をしでかすかわからない相手。しかも同じような頭、同じような浮輪が動き回る。あっという間に見失う。大切な宝物のあずかりもの。必死に捜す。

 悪戦苦闘の5時間余り。帰りの車が動き出すと間もなく、スースー心地よい寝息を立てる。こちらは日焼けも出費も身にしみる。夏休みが早く終わるのを待つ世の母親の気持ちが痛いほど分かる。

 しかしジジ・ババにとっても大切な夏休み。子らの成長とともに、やがて必要とされなくなるときが来るのが見えているだけに、今がいとおしい。
 
 (2008.08.23 中国新聞「広場」掲載)

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「補助輪を外す」

      岩国市  会 員   山本 一

 
 ご近所に、私が「モモちゃん」と呼んでいる小学3年生の女の子がいる。

 昨年のこのころ、彼女は補助輪の付いた自転車で懸命に練習をしていた。数日して「もう、補助輪を外しても大丈夫だよ」と言ってみる。「お母さんがまだ駄目と言うの」と返事。

 それから、およそ2ヶ月も、そんな日々が続いた。
「補助輪の外しどころで迷ってる」。このごろ通い始めた川柳教室での、私の作品である。42年間の会社生活と重ねた。

 ある日、モモちゃんは、補助輪なしでさっそうと乗って、手まで振ってくれた。

   (2008.08.23 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2008年8月22日 (金)

「美術館巡り」

   岩国市  会 員   樽本 久美

 お盆休みを利用して広島市の美術館めぐりをした。初めて「ひろしま美術館」を訪れた。

 岩国に住んでいるのになかなか行く機会がなかった。日本にいながらにしてパリの16の美術館巡りができる。今回の企画展「パリの100年展」はどうしても見たかった。
 
 ルノワール、セザンヌ、ユトリロ…。絵画に詳しくない私でも知っている超有名な画家の作品が並ぶ。「いいものはいい」と感じた。芸術はやはり何かを与えてくれる。

 以前、出掛けたことのあるニューヨークのメトロポリタンミュージアムは館内そのものがアートで、のんびりと半日かけて鑑賞する雰囲気であった。

 今回は県立美術館で建築家の「ル・コルビュジエ 光の遺産」も見た。三越の「春の院展」にも行った。欲張ったのでゆっくりと鑑賞するということはできなかったが、たまには美術館巡りもいい。少しの間、日常生活から離れることができた。

  (2008.08.22 中国新聞「広場」掲載)

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2008年8月 9日 (土)

「おしめ干したる」

    岩国市  会 員   山下 治子

 使い古しのおしめが出てきた。孫の時にもしや、とのけておいた3人の子供たちの名残だ。


 紙おむつの加速度的普及で、庭先や軒下で風にそよぐ「おしめ干したる」風情はほとんどなくなって久しい。

 私の子育てのころは、おしめが目印代わりで母親、子供同士が仲良くなるきっかけとなったりした。もう、ぞうきんにするか捨てるか。ならばタイムスリップしてみるかと、たこ足ハンガーに干してみた。

 隣のおばちゃんが目ざとく気づき言う。「おばあちゃん、お加減悪い?」いとおかしを求めたのに、いとわびしきかな。風鈴がチリリンとわずかに鳴った。

  (2008.08.09 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2008年8月 7日 (木)

「吸血鬼」

    岩国市  会 員   貝 良枝

近所の方にトマトをいただいた。小ぶりのトマト。1、2ヶ所白い部分がある。「今年は、ホウ(カメムシ)が多くて不作よ」と話される。カメムシに吸われた跡らしい。

 白い部分を切り捨ててかぶりついた。完熟の地物は、やはり甘くておいしい。勢いよくかぶりついたので、汁が垂れた。子どもたちが小さいころ、トマトジュースを飲んで、口のまわりにつけ、吸血鬼のまねをしたことを思い出す。

 暑い夏に、赤いパワーをもらって生き返るカメムシも私も、さながら吸血鬼?

  (2008.08.07 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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「子に薦めたい『赤毛のアン』」

    岩国市  会 員   樽本 久美

 夏休みに子供たちに、本を読むことを薦めたい。仕事柄、子供たちと接していて、最近特に感じることは、本を読まない子供がなんと多いかということだ。携帯電話の普及で、メールを片手で絵文字やら省略文字などを駆使して、らくらくと打っている子供達なのにである。

 21日から広島市のデパート福屋で「赤毛のアン展」が始まる。今年は、出版100年に当たるので、マスコミなどで大きく取り上げられている。

 NHKで3ヶ月トピック英会話「『赤毛のアン』への旅」もテレビ放送された。カナダ、プリンスエドワード島のグリーンゲイブルス(緑の切妻屋根)のアン。最後にEがつくANNEである。

 アンシリーズを高校生の時夢中になって読んだ私。今の私の性格は、たぶんにこの本の影響があるような気がする。いつまでも、夢と希望を持って頑張っていくアンを見習って毎日を大切に、アクティブに生活していきたいと思う。

 私の昔読んだ本を子供たちに上げようと、本を見ていたら、その中にお気に入りのしおりがあった。懐かしい気持ちでいっぱいになった。
  (2008.08.07 朝日新聞「声」掲載)

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2008年8月 2日 (土)

「『原爆の子』に影響を受けた」

    岩国市  会 員   広森 紘一

 戦争の傷跡など全くない山村で、なに不自由ない子供時代を過ごした。当時は映画が娯楽の中心だった。映画を見終わった帰り道は、誰もが映画のヒーロー、ヒロインになっていた。

 敗戦から7年後の1952年、8歳だった私は、新藤兼人監督の「原爆の子」をみた。始めて見た戦争の、しかも原爆の映画だ。多感な子供の脳裏に焼きついた悲惨な映像はこの日から消えなかった。

 毎晩のように夢を見る。原爆ドーム近くに被爆した友達と一緒にいる。目の前で被爆した人たちが次々と死んでゆく。恐怖でもがき続けるうちに目が覚める。高校生、大学生になっても同じように繰返し見た。

 大学では核軍縮がゼミのテーマだった。また、就職した会社の目の前には原爆ドームや資料館があった。しかし、訪れることはできなかった。「原爆の子」は私の人生に思わぬ影響を与え続けていた。

 これからも私だけの胸に収めて、語ることも、行動することもしないはずだった。まさか、生活の地で米軍基地再編に反対する多くの市民の中で、こぶしを突き上げるようなことになろうとは夢にも思わなかった。
    (2008.08.02 朝日新聞「声」掲載)

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