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2008年9月

2008年9月30日 (火)

「遅刻をしても運転は安全に」

   岩国市  会 員   貝 良枝

 家を出て5分。携帯電話の存在が気になり、車を止める。カバンの中を探すがない。「どうしよう」。今から例会に参加するのだが、私は遅刻の常習犯。「今日こそは」と、余裕を持って出かけたところだ。会が終わって帰宅するまでには4時間余りかかる。

 こんな時には悪いことばかり想像する。娘の学校から緊急連絡があるかもしれない。夫から「具合が悪くなった」と、連絡があるかもしれない。そんなことを思い出すと、向きを変えるしかない。ということは、またもや遅刻ということになる。

 会長の顔が浮かぶ。が、私は母であり、妻である。もしもの時、家族の支えでなくてはいけない。慌てて帰って探すが見つからない。焦る。固定電話から携帯電話掛けると、思わぬところから鳴り出した。化粧ポーチの中。なぜ、こんなところに入れたのだろう。

 ともかく慌ててつかんで出かける。おりしも秋の全国交通安全運動実施中。間違っても自分の事故のために、携帯電話を使わないように、いつも以上に運転に気をつけた。会場に着いたとき、会長の後ろにかかっている時計は、集合時間より2分過ぎていた。
  (2008.09.30 朝日新聞「声」掲載)

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2008年9月29日 (月)

「粋な計らい」

    岩国市  会 員   吉岡 賢一

 919日、内閣総理大臣と山口県知事さんから、長寿の「祝い状」と「銀杯」などの記念品が届けられた。

 母100歳のお祝いである。思いがけない行政の計らいに感謝し、改めて長寿の貴さを実感した。

 15日敬老の日。近くに住む子や孫が集まって、お祝いをした。その日から4日遅れの贈り物。ありがたい感謝の気持ちに変わりはない。が、手遅れの感は否めない。

 敬老の日に間に合わせてこそ「粋な計らい」であり、血の通った行政だと評価される。いただいた銀杯も、それ以上の輝きを増すに違いない。
  (2008.09.29 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2008年9月25日 (木)

「傾ける」

       岩国市  会 員   片山 清勝

 パソコンの講座中、ひとりの受講者の体が大きく傾いた。

 「どうしました」。あわてて駆け寄る。直前に取り込んだ画面上の写真を指さし「これを傾けようと思って、マウスを回したら体だけ傾いた」という話に、教室は大笑いだが安堵した。

 笑いを引き取りながら、画像を傾ける操作を丁寧に説明する。受講者はマウスを動かす。少しして「な~んだ簡単じゃ」。うれしそうな大声で、何もなかったかのような感想。再び大笑い。

 初めてパソコンを習う人のユーモアに、次は何を知りたいのか、教え方のヒントを学ぶことも多い。

  (2008.09.25 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2008年9月24日 (水)

「離島甲子園に心からエール」

    岩国市  会 員   片山 清勝

 プロ野球ロッテの元投手・村田兆治さん(58)の「離島甲子園」を月刊「文藝春秋」(10月号)で読んだ。今年7月末、東京・伊豆大島で「第1回全国離島交流中学生野球大会」が開かれたことや、そこに至った背景、少年たちへの思いを温かく伝える内容だった。離島の皆さんを含む多くの方の協力があったこともうかがえる。

 村田さんはマウンドを去った翌年の19919月、新潟市の北63㌔の日本海に浮かぶ小さな島を訪問。全校児童15人の小学校で講演やマサカリ投法の披露などをした。

 このとき、9人に分かれて2チーム作れない、そこでは満足な試合もできない、ということに気付かれ、離島に思いを持ち始められた。

 村田さんはこれまでに全国50を超える離島を訪れて、手抜きしない野球教室を開かれたという。

 実際、真摯な指導が実を結び、子供たちは、、額に汗をすれば、心と体が自らの力になることを学んでいった。こうした離島の子供同士が集まって交流する場を作りたいという、村田さんの思いが「離島甲子園」実現に至ったという。

 この活動が、島に住む子供たちの連帯感や活力の醸成に連なって欲しい。そして、いつか本物の阪神甲子園球場で試合が実現できるよう期待し、心からエールを送る。

  (2008.09.24 朝日新聞「声」掲載)

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2008年9月17日 (水)

「私の誕生日に生れた初孫」

      岩国市  会 員   井上 麿人

 「今日生れそうだ」長男からの電話で妻と産院へかけつけた。双子とわかっていた。曲がりなりにも3人の子供のオムツを取り替えた父親経験者。たかが初孫が双子いうぐらいでマゴマゴしていたのでは洒落にもならない。冷静さを装うことにした。

 産院は明るく、清潔。だが風呂のふたを取ったときのような生暖かい雰囲気は昔と変らない。苦手だ。

 長い廊下をすすむとガラス張りの新生児室がみえ、前に人垣ができていた。 真ん中に先生と息子の顔が見える。「事故か」。緊張が走る。 近づいてみるとすぐに原因はわかった。ベビーたちは男女のカップルだった。

 神妙に先生の話を聞きながらメモを取っている息子。少子化が問題となっている昨今、効率のいいことだと一人満足した。そしてせがれがおやじに、おやじがじじいになった瞬間でもあった。

 
1時間ほどで産院を出ようとしたとき、息子が小さな箱を抱え追ってくる。中身の察しはついたが妻への連絡程度に思っていたら、「一応おめでとう!」声を掛けられ、今日が自分の誕生日だと気づいた。

 元号を昭和に置き換えれ“年”月日全てが同じというおまけがついた。だから以来、孫たちの誕生日と星座、そして年齢も間違えることはない。
   (2008.09.17 朝日新聞「声」掲載)

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2008年9月12日 (金)

「いつか『赤毛のアン』の舞台に」

   岩国市  会 員   樽本 久美

 やっと秋の気配を感じるこのごろ。涼しくなったら、無性に本が読みたくなる。そして旅行に行きたくなる。

 昔は青春18きっぷで鈍行列車に乗り、いろいろな所へ一人で行った。宿はユースホステル。安くて、安心して泊まることができ、いろいろな人にも出会えた。

 結婚してからは、なかなか一人旅には出られなくなったが、本を読んだり、エッセーを書いたりして心を満たしてきた。

 先日、広島の百貨店で開かれた「赤毛のアン展」に行き、物語の舞台になったカナダのプリンスエドワード島に行きたいという目標ができた。

 アンの前向きで何事もあきらめないウイットいっぱいの性格は大好きだ。お金をためて物語の中でアンが住んだ家「グルーンゲイブルス」に行き、自然の木や風の音を聞いてアンの生活を追体験してみたい。

  (2008.09.12 読売新聞「私の日記から」掲載)

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「捲土重来」

    岩国市  会 員   井上 麿人

 「おじいちゃん、国の名前を当てて」。広告の裏面に、10種類ほどの国旗がクレヨンで描かれている。オリンピック観戦用に、妻が買った「世界の国旗」からの出題だった。


 「…………」「ギニア、リビア、……」。高揚した孫の顔に、自立に向かっていく者の勢いを感じる。200近い国旗があることも後で知った。

 大きく点数の下がった「じいさん」に、100%の自立は無理かもしれない。でも、頭を使っていれば、たとえ車椅子に乗ろうとも、自立は維持できよう。

 5歳の孫台風は、小さな衝撃と教訓を残して、短い夏休みとともに去った。

    (2008.09.12 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2008年9月11日 (木)

「山口でヒロシマ思う」

        岩国市  会 員   中村 美奈恵

96日は「山口のヒロシマデー」。毎年、山口の宮の下の原爆死没者之碑の前で原爆死没者追悼・平和式典が開かれている。私は今年初めて、その式典に参加した。

 2年前、偶然立ち寄った古書店で山口県原爆被爆者福祉会館「ゆだ苑」発行の「語りー山口のヒロシマⅠ」の本と出会った。被爆者の証言をテープにとり、文章にしたものだ。悲惨な出来事と被爆者の歩んできたさまざまな人生に、私は強い衝撃を受け、心に深く刻んだ。無名兵士の遺骨が収集されたこの地に碑があることも知った。
 
 このことを伝えたいと7月、私は自分の趣味を生かし「おりづる新聞」を作った。ゆだ苑に張ってあり、訪れる人たちに読んでもらっている。今年の式典のパンフレットの表紙に、この新聞と同じ写真が使われ、私は感無量だった。

 核兵器廃絶と世界の恒久平和を誓った式典には、300人近くが参加した。祈りを込め、折り鶴を折った人、ゆだ苑を知ってほしいとホームページを開いている被爆2世、語り部活動を続けている被爆者。私は平和を願うそれぞれの思いに触れた。

 広島・長崎に次いで被爆者の多い山口。平均年齢は77歳を超えた。私の力はわずかだが、平和への思いをつなげていきたい。
  
2008.09.11 中国新聞「広場」掲載)

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2008年9月10日 (水)

「アオサギに魚 投げると運ぶ」

        岩国市  会 員   山本 一

初夏のある日、山口県・上関海峡を望む波止場で釣りをした時のことである。珍しく、釣場に居るのは私と1羽のアオサギだけであった。

どこの釣場でも釣り上げた魚を頂こうと、トンビ、カモメ、カラスなど、いろいろな鳥が待ち構えている。場所によっては猫も居ることがある。

アオサギは釣場ごとに縄張りがあるようで、大抵1羽で来る。もの静かな鳥で、首と足が長い。釣り人と10㍍ほど付かず離れずじっと待機している。その日、スズメダイという10㌢ほどの小魚が入れ食いとなった。アオサギに釣っては投げてやる。驚くほどの大食漢で、10㌢強の小魚を10匹以上も丸飲みする。更に与え続けていると、すっとその場から居なくなった。

しばらくすると再び戻って来る。また投げてやると、最初とまったく同じようにどんどん食べる。やがて満腹になるとまたどこかへ飛んでいく。この繰り返しを、夕方の納竿(のうかん)までに何と3回も続けた。

「家族の元に運んで来たの?」。アオサギにそっと声を掛ける。気が付くと5㍍程に近づいている。何だか妙に親近感を覚える。大物には恵まれなかったが、ほのぼのと心が癒される最高の釣りであった。

2008.09.10 朝日新聞「声」掲載)

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2008年9月 9日 (火)

「議長らに託す核廃絶」

      岩国市  会 員   横山 恵子

 826日付から中国新聞に5回連載された「G8議長サミット 被爆者からの手紙」からは、核兵器廃絶への思いがひしひしと伝わってきた。
 
 漫画家の中沢啓治さんは被爆した母を火葬した時、灰ばかりで骨がなかった。怒りがこみあげてきて恨みをはらしてやるぞ、という決意から「黒い雨にうたれて」「はだしのゲン」が生まれたとのこと。あらためて原爆の残酷さに憤りを感じた。
 
 しかし、米国をはじめ英国、ロシア、フランス、中国の各国は依然核兵器を保有している。いくら核兵器は人類を破滅させると声高に叫んでも、“百聞は一見にしかず”と思っていたので、先日開催された広島でのG8議長サミットは、やっとという思いであった。

 参加された議長の方々は被爆者の話や原爆資料館を見て、どのように感じられたのだろう。新聞によると原爆慰霊碑に議長らが花を手向け、誰からともなく全員で手をつなぐ場面があったという。きっと手と手をとりあって平和をつくろうという気持ちの表れだろう。帰られたらぜひ被爆地からの願いを実現していただきたい。
 
 ピースボランティアをしたいと思っていたので、この2月に電話したら「定員に達しました」と言われた。「来年は?」と聞くと「予定はありません」とのつれない返事。しかし、機会があればと思っている。
  
(2008.09.09 中国新聞「広場」掲載)

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2008年9月 5日 (金)

「待ち遠しい秋の味覚」

 岩国市  会 員   貝 良枝

朝夕涼しくなり、特産の岸根栗(がんねぐり)のイガもこぶしほどの大きさになった。青ジソもこんもりと畑で存在を示している。

 柔らかい葉にバッタが集まる。そうめんの季節が過ぎてしまった今となっては、青ジソはバッタへのプレゼント。好きなだけ穴を開けるがいい。私は花の後の実を待っている。花の軸が10㌢ほどに伸び、花が実に変わる。

 穂先の花が実に変わるか変わらないころ、天ぷらにして食べるのがわが家流。プチプチとした食感とシソの香りがなんともおいしい。

娘も大好きで、歯の生え替わる小学生のころから「歯でキィーっと引っ張って食べるあれを作って」と、季節も考えずに言っていた。歯のすき間に引っ掛けて引っ張って食べるのが楽しかったようだ。

 毎日天ぷらというわけにもいかず、それを楽しめるのはこの季節2、3回ほど。旬のものを旬にいただく。季節を楽しめる天ぷらは、とてもすてきな日本の料理だと思う。シソの実ができるのが待ち遠しい。

  (2008.09.05 中国新聞「広場」掲載)

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2008年9月 4日 (木)

「目からうろこ」

    岩国市  会 員   檜原 冨美枝

近くに住むおいが、釣ったばかりのアジを届けてくれた。小ぶりではあるが、生きがいいので急いで刺し身にした。

 息子夫婦にもおすそ分けし、夜は久しぶりに熱かんにする。
しかし、なぜか右目に異物感があり、涙が出て痛みがある。

 嫁は何も見えないという。そういえば、調理中に何か目に飛び込んだことを思い出した。

 翌朝、急いで眼科に行く。スポットライトを当て、念入りに診られても分からない。いろいろな手段を講じてやっとあった。

 直径2㍉ぐらいのうろこが2枚。たったこれだけで一晩中つらい思いをした。これが本当の目からうろこ?

  (2006.09.04 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2008年9月 2日 (火)

「旧校舎活用にエール」

   岩国市  会 員   片山 清勝


 全国各地で過疎や少子化に伴い、統廃合が進み、歴史ある学校が廃校になっている。特に山間部の小さな集落での学校は、地域のコミュニティーの中心にもなっている。

そこに子どもたちが突然不在になる。その存在が重要なだけに、卒業生はもとより、地域の皆さんの寂しさとさらなる過疎への懸念は計り知れない。 

中国新聞の「旧校舎を訪ねて」の特集で、岩国市内の廃校を利用した町おこしが紹介された。廃校になった小学校は「地域の財産として活用しよう」と数十年前の卒業生が集まり、町おこしの拠点とし、多くの住民が集まる施設になったという。

給食室では地元のコンニャクイモを昔の製法で作り、近くの朝市に出品。「弾力があり、おいしい」と評判だ。校舎は改修され、宿泊体験もできる多目的施設に変わり、「都市部と山間部住民の交流拠点にしたい」など大きな夢のあることを紙面から知った。

都市部と山間部の交流活動は、まだレジャーの域を出ていないと世話をする人から聞いた。先のような町おこし活動が軌道に乗り、子や孫らが再び通い始める、そんな願いを込めて活動に心からエールを送る。

(2008.09.02 中国新聞「広場」掲載)

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