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2009年5月

2009年5月30日 (土)

「鉢入り娘に」

      岩国市  会 員   吉岡 賢一

 我が家にやってきてもう5年になる鉢植えのピラカンサス。今年ほど見事に花をつけたことはない。昨年末、完全りタイアした家主が、気持ちと時間にゆとりをもって、優しく接してきたからだろう。

高さ50ほどの樹態を包み込むように、小指の先ほどの愛らしい真っ白い花が、今を盛りと咲いている。その清楚な姿は、純白のドレスを身にまとった、初々しい花嫁さんを見るようだ。「お気に召すまま、あなたの色に……」とささやかれているようなときめきをおぼえる。

今や我が家の大黒柱となり、姉や妹だちからも絶大な信頼を得た妻もこんな気持ちで嫁いで来たのだろうか。涙にかすんでぼやけて見えた一人娘のウエディングドレス姿。彼女もこんな心境になったのだろうか。遠い昔を思い出しながら、水やり・手入れに精を出す。よく見ると小さな花の一つ一つが、花弁の奥に小粒の卵を抱いている。

順調に行けば、秋の盛りには大きな実を結び、見事な色づきを見せてくれるに違いない。鉢植えだけに水やりは欠かせない。ともすれば、真夏の直射日光にも神経を使う。このように、手をかけ・気にかけ・声をかけてやれば、期待にたがわず成長し実を結ぶ。まるで子育てや人材育成によく似ている。

急がず慌てず手塩にかけ、ゆったり気分で寄り添えば、お気に召すままあなたの色に成長してくれるに違いない。
   
2009.05.30 毎日新聞「男の気持ち」掲載)

     

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2009年5月28日 (木)

「余計なお世話」

    岩国市 会 員   檜原 冨美枝

 ある会合の帰り道での話。友人の一人が「私、主人とそれぞれの葬儀用写真を撮ったよ」。もう一人が「へえー、もう撮ったの。私より10歳も若いのに。みんな手回しのいいこと」と感心する。

 のんきな私も足元に火がついた。あまり若い時の写真では違和感があり、遅いと老醜をさらけ出しみっともなく、参列者に不快を与える。これまで撮ったものを見るが、これといったものはない。

 まあ、いいか。心穏やかな日に、少しおめかしして、にこやかにとっておきの一枚を撮ることにしよう。そうつぶやいていたら主人が言う。「随筆が載った日がいいよ」
   (2009.05.28 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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「してやれること」

     岩国市 会 員   貝 良枝

 
高校を卒業し4月に他県に進学した娘が、ゴールデンウイークに帰省したので駅まで迎えに行く。髪の色が変わっていたが元気そう。私を見つけて大きな荷物を担ぎなおして駆けてくる。笑顔だ。「お帰り、待ってたよ」

 今朝の事、そろそろ娘の乗る高遠バスの発車時間だと思っていたら電話が。
 
「お母さ~ん」と涙声。バス停がわからずバスに乗れなかったという。都会に暮らして1カ月。事前にバス停は確認していたが、朝早い時間ではビルのシャッターが下り、昼間見たときと様子が違ってわからなくなったという。


 私は平静を保って言った。
「大丈夫よ。新幹線に乗りなさい」携帯電話はありがたい。何度かやり取りして無事新幹線に乗って帰ってきた。開ロー番娘は言った。
 「高速バスなんか絶対乗らん」

 帰り道、授業のこと、隣の席の子のこと、安い店を見つけたことなど矢継ぎ早に話す。以前にも電話で聞いたと思っても全然嫌じゃない。「何が食べたい? 餃子もできるし、お好み焼きもできるよ」「お好み焼きが食べたい」

 母親のしてやれることは、話を聞いてやって好きなものを作ってやることぐらい。笑顔で迎え、笑顔で送り出す。そして心配する日々は隠しておく。私の母もそうしてきたんだろうが覚えていない。
   (2009.05.28 毎日新聞「女の気持ち」掲載)

  
 

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「わが家の薬ドクダミ」

      岩国市  会 員   片山 清勝 
 

 ドクダミの白い花が咲き始めた。花はかわいいが、「あの特有のにおいが…」と敬遠する人も多い。祖母は「そのにおいが効くのにね」と根こそぎ採っていた。

 採ったら奇麗に水洗いして束ね、軒下で陰干しする。パリパリに乾燥すると、あの特有のにおいは消え、乾燥ドクダミは大切な家庭薬に変わる。

 腫れ物ができると家庭薬を火で温めて柔らかくし、それをもみつぶして患部へ張り付ける。二、三回繰り返すと治る。飲むと体にいいということで、特に夏場はのどを潤す水代わりにせんじたものをよく飲んだ。あせもが出ると祖母はドクダミ風呂を沸かしてくれた。そんな子どものころをあれこれ思い出す。

 ドクダミは日陰や湿っている所、人間社会では出世の機会に恵まれないような場所に群生する不思議な植物だ。しかし、薬効という素晴らしいDNAは途切れることなく伝えてきた。

 そんなことを思い、眺めていると「真摯に生きることですよ」とハート形の葉が語りかけるように揺れる。すると白い花はより白く見え、特有のにおいは薄らぐように感じた。
  (2009.05.28 中国新聞「広場」掲載)
       

 

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2009年5月27日 (水)

「一枚の手紙」

        岩国市  会 員   安西 詩代

 
今は亡き母が好きだった歌舞伎の雑誌をめくっていたら、ハラリと何かが落ちた。 それは一枚の懐紙だった。


 
表裏には、びっしりと母の字で何かが書いてあった。「おおたにが燃えた」懐かしさも手伝って一気に読んだ。昔話のようだった。

 
ある日、ある所で、旅人の「負うた荷が燃えている」のを見た周りの人が「おおたにが燃えている」と一生懸命に知らせた。なのに旅人は、自分には関係ない話だと思ってそのまま歩いて行く。そのうち旅人の背中の荷は燃え上がり、大変なことになってしまうという内容だった。

 
何事も人ごとだと思わないで、しっかりと他人の言うことを聞かないと、災いが自分にふりかかってくる。そういう教訓だと思った。

母は誰かに伝えたくて一枚の懐紙に書いていたのだろう。それが私の目の前に出てきたということは、どんな意味を持つのだろう。きっと母は六十二歳の今の私に言いたかったに違いない。 

「反省して、もう少し他人の話を聞いて、その言葉の中から自分のためになる助言、忠告を見つけなさい」一枚の懐紙は、あの世からの私への母の手紙だと思っている。
  (2009.05.27 中国新聞「こだま」掲載)

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2009年5月25日 (月)

「山歩き」

       岩国市  会 員   片山清勝

 「明日は山へ行くぞ」と夕食の時、父から声が掛かる。翌朝、父は弁当や道具を乗せた背負子を背負い、少し前かがみで細い山道を登る。その後を遅れないように1時間くらい黙々とついて行く。

 着いた所は倒木や小枝が散乱し足の踏み場もない斜面。そこは自給用の薪を作る仕事場なのだ。自分の担当は折り重なった小枝をひと枝ずつ引っ張り出すこと。父は倒木を切断し、その整理をする。「大丈夫か」と時々小学生の私に声を掛けてくる。

 プロパンガスが我が家に入ったのは昭和30年代の中頃。それまでは自給自足の薪が家庭用の燃料で、ご飯を炊き風呂をわかした。近くの山の伐採で用材にならなかった木や雑木を購入し薪にした。弁当の握り飯は麦入りだが、家で食べるよりうまかった。

 小学5年の時、過って左の人さし指をノコギリで切った。その時の傷跡がかすかに残っている。それを見ると、血を□で吸い取り、タオルを引きちぎり、傷口を縛ってくれた父を力強く感じたことを覚えている。

 整備された坂道を健康づくりのため登りながら、生活のために「山へ行くぞ」と言った父の声を思い出す。生きていれば今年100歳になる。
 
  (2009.05.25 朝日新聞「声;特集『山歩き』」掲載)

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2009年5月22日 (金)

「モモちゃん力」

    岩国市  会 員   稲本康代

 
「モモちゃんは、お元気ですか?」。思いがけない人から声を掛けられ驚いた。けげんそうな顔をする私を見て「はがき随筆を読みましたよ」。

 なんだ、そうか……それでモモのことを知っているんだ……。私が書いたエッセーは、もう1年前のことである。それを読んで覚えていてくださるとは。

 「死んでしまったんです」とは言いづらくて「はあ……」とあいまいに答えてしまう私。もうこの世にモモちゃんはいないけど、まだ覚えてくれる人たちがいるなんて本当にうれしいことである。突然に逝ってしまったパグ犬のモモを思い出させた出来事であった。
    
2009.05.22 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2009年5月21日 (木)

「昼下がりの電車」

   岩国市  会 員   貝 良枝

 
カターン。日傘が電車の床に倒れた。しっかりと柄をつかんでいると思っていたのに。隣のご婦人が笑顔で拾い上げてくださる。「すみません」。ああ恥ずかしい。しかし、恥ずかしさは電車の揺れに消えていく。
 

カターン、また倒れた。「すみません」。「この時間は眠いですよね」と、また隣のご婦人が笑いながら拾ってくださった。
 

そうだ、バッグのひもに柄を絡ませておけば落ちないぞ。安心した心に睡魔が訪れる。「次は終点……」。アナウンスの繰り返しだが、だんだんはっきり聞こえてくる。背筋が伸びた。しまった。乗り越した。
  
2009.05.21 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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「お山は大雪」

  岩国市  会 員   山下 治子

 
元気印の私が、不覚にも患い手術に至った。以来夫は、なるべく二人でいられる時間をと、赴任先から切符を送ってくる。

 子供たちや年寄りのことも気になるが、あえて夫の元へ参じ、共有の時間を持つことに。今回は病み上がりだからと、湯治を目的に奥飛騨行きを計画してくれた。

 寒さが大の苦手の私は「なんで寒い時に、寒い所へ行くの?」と不満だった。だが、新穂高から絶景なる雪の北アルプス連峰を眺めていたら、夫の心情がのみ込めた。

 「いろいろあったな……」「これからもまだあるよ、でも長生きしようね。こんな良いことあるんだもの」
   (2009.05.21 毎日新聞「はがき随筆;特集『旅』」掲載)

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「うわの空」

  岩国市  会 員   沖 義照

 流氷への旅の帰り、新千歳空港から飛行機に乗った。座席は後部乗降口のところだった。

 離陸の時、緊急対応のため美人スチュアーデスが目の前の座席に我ら夫婦と向かい合った形で座った。飛び立って水平飛行となるまではそのまま座っている。

 
黙っているのも気まずくなり話しかけてみると「流氷を見に行かれたのですか。旅なれた方に見えますね」と笑顔で応えてくれる。

 おしゃれな外出着を持たない普段着の旅行者のことを「旅なれた方」と表現してくれた。さすがに接客業だ。思いやりのあるこのひと言で、身も心もまさに空の上を飛んでいた。
  (2009.05.21 毎日新聞「はがき随筆;特集『旅』」掲載)

 

 

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2009年5月13日 (水)

「母と縫いぐるみ」

       岩国市  会員   山本 一

 転院して環境が変わったせいか、母がぐずる。看護師さんが犬の縫いぐるみを渡すと、抱いて片時も離さない。「名前は」に「ピーコ」と答えるので、「ジョンにしたら」と言って見る。その後は誰が尋ねても「ジョン。はじめが付けた」。

 
60年前、我が家で飼っていた犬の名前だ。ある日父が「餌代が掛るので、もう飼えない」と言う。連れて行かれる時、当時高くてあまり買ってもらえなかったパンを与えた。ジョンはむさぼるように食べた。

 その時のジョンと子供に戻った母に抱かれる縫いぐるみのジョンが重なり、涙がこみあげる。
   (2009.05.13 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2009年5月12日 (火)

「小さな花」

   岩国市  会 員   樽本 久美

 
27年前、初めての給料をもらった。3ヵ月間研修があり、社会人としてのマナーをみっちり教えてもらった。初給料で親に何かプレゼントをしたような気がするが、よく覚えていない。 

 
今でもはっきり覚えていることは、大学の恩師が「文学部を卒業したのだから、必ず給料の1割で本を買うこと。そして、感動する心を忘れないように」と言われたことである。

 
おかけ様で、毎月本を買うことは続いている。が、感動する心を持ち続けているかは、少し疑問である。道端の小さな花にも感動できる心を持ちたいと思っている。

  (2009.05.12 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2009年5月 4日 (月)

「青春先生」

   岩国市  会 員   樽本 久美

 22年前、母が勝手に近所の人に「誰かいい人がいたらよろしくお願いします」と頼んでいた。25歳で青春を謳歌していた私は、「結婚なんて考えていない。ましてお見合いなんて」と思っていた。

 家で塾をしていて夜、お見合いの話がきた。生徒が知っている先生だ。「○○先生って、どんな先生?」と生徒に聞くと、「『青春先生』で、いい先生です」との答え。その一言で、お見合いをした。

 そしてなんと3ヶ月後には結婚式に。友達に「結婚式に来てね」と電話をしたら「来年の話?」と聞かれた。「いや、一ヶ月後の3月21日よ」と言うと、みんなあまりの急なことでびっくり。

 私は、ウェデイングドレスも即座に決めた。普通はドレスを決めるのも迷って時間がかかるという。式の担当者も驚いた。そして、なんとか、結婚式を迎える事ができた。夫について「カンでいい人。先生だし……」と私。この賭けは正しかったのかな?今もこうやって生活できているのは、多分、夫の寛大さのおかげかな。
  (2009.05.04 朝日新聞「声;特集『賭け』掲載)

  

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2009年5月 2日 (土)

「心がいっぱい」

     岩国市  会 員   安西 詩代

 
老母を介護している男性から「母が早く死ねばいいと思っているんです」と言われ、返事に詰まった。そして「そんな自分が情けないんです」と話された。

 彼の母はどの施設でも退去を求められるぐらい大声を出される。声を出さずにはいられない程、心がいっぱいになっているのだ。私は母の介護のときを思い出した。□には出さなかったけど、私も心の中では思ったことがある。そして自分を責めた。

 
誰にも言わなかった心の中だけの叫びがあったことを彼に告げると「そうですか。良かった……。私だけでなくて……」。受話器の向こうに涙が見えた。
  
2009.05.02 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2009年5月 1日 (金)

「投稿で感動表したい」

   岩国市  会 員   貝 良枝

 425日付の広場欄で「投稿で思い出づくり」を読んだ。私も投稿を楽しんでいる一人。八年前、私の留守に小学五年と中学一年の娘たちが仲良く朝のみそ汁を作り、夕食まで準備してくれた感動を書いたのが始まりだ。

 小学生のころから作文は大の苦手だった。そんな私の作文が新聞に載る。驚きと天にも昇るうれしさだった。以来、暮らしの中のたわいもない出来事だが、感動を与えてくれたことを書いてきた。

 昨年、そんな投稿を見てエッセーの会に誘われ、恐る恐る参加した。一人で書く文だが、みんなで話すと楽しいし、教えてもらうことが多い。

 作文嫌いの私が目覚めたのは、「書かされる」ではなく「書きたい」だったからと思う。その思いが私を動かす。いろいろなことに興味を持つようになった。じっくり見てみよう、しっかり聞こうとする自分かいることに気づいた。 

そして「私もそう思うよ」 「面白かった」と声を掛けてくれる人がいる。応援されると、また書こうと思う。これからも見て聞いて感動して、それを投稿という形で表していきたい。
   (200
9.05.01 中国新聞「広場」掲載)

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