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2009年9月

2009年9月29日 (火)

「大義名分」

    岩国市  会 員   吉岡 賢一

「オーイ、秋の泥落としをやろう」。見事な黄金色の稲穂を見ながら仲間に声をかける。大地主の養子に入った同級生。大企業を定年退職してから、見よう見まねで本格的農作業を始めた。

 米作りもその一つ。農機具操作も慣れてはきたというものの、耕作面積が半端ではない。日々の苦労が目に見える。刈り取り、脱穀、精米、出荷など一段落したら彼を囲んで一杯やろう。

 少しやせ気味の彼に、しこたま食って飲んでもらおう。自慢ののども苦労話も聞こうじゃないか長年の仲聞なのだから。「えっ、泥落としって田植えの後なの?」まあいいか

  
2009.09.29 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2009年9月27日 (日)

「行き違い」

    岩国市  会 員   山本 一

 
岩国市美術展覧会の入者の中に、今はまったく親交が途切れた友人の名前を見つける。 会社時代は実の兄弟のように親しく、家族ぐるみで付き合った時期もある。信頼しあう仕事仲間でもあった。

 
その彼が、在職中のあるとき、突然私から離れていった。私は重い心を抱いたまま、あえて追いかけなかった。彼は実に人間くさく親切な男だ。少し醒めた私とは人生観がまるきり違う。きっと私の配慮が足りなかったのだろう。

 
今も、彼に対する友人としての気持ちは変わらない。展示は明日までだ。彼の作品に会いに、会場に行ってみよう。
  
2009.09.27 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2009年9月25日 (金)

「機内放送に日本語も」

    岩国市  会 員   吉岡 賢一
 

 定年退職して7年。渋るカミさんを何とか口説いて念願のヨーロッパ旅行が実現し、フランス、スイス、ドイツの周遊を楽しんだ。 
 中でもスイスアルプス観光は、想像をはるかに超える絶景に息をのんだ。マッターホルン登山列車では、5カ国語を駆使して観光案内が放送された。もちろん日本語も含まれている。目と耳でアルプスを満喫できた。
 一方、ヨーロッパ往復の飛行機搭乗時間は25時間の長きに及ぶ。その間は完全に生命を預けたことになる。その機内において、ただの一度も日本語アナウンスは聞かれなかった。英語・中国語・韓国語のみである。
 150人近く乗り合わせた日本人には、乱気流による機体の振動予測やシートベルト着用案内さえも教えてもらえない。乗客の安全を確保し、危険を排除するのは航空会社の最低限の義務であり、国境などあってはならない。 
 
機長が日本語を話せないのであれば、客室乗務員が通訳するぐらいの配慮がほしかった。楽しかったヨーロッパ旅行の中で唯一、寂しさが残る出来事であった。
   (2009.09.25 中国新聞「広場」掲載)

     

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2009年9月23日 (水)

「幸せの10円」

     岩国市  会 員   貝 良枝

 ビールの空き瓶2本の処分に困っていた。が、ついに近所の店で「空き瓶引き取って」と頼んだ。娘さんは「ちょっと待って」と言う。

 だめかと思いきや「はい、空き瓶代」と10円玉をくれる。この店で買ったものではないので断った。でも、当然のように手渡してくれる。笑顔のおまけ付き。「幸せの10円かもね」ともらって帰った。

 が、私のものにするにははばかられる。いいことを思いついた! カレンダーを見れば明日は大安、ますますいい。出雲までは行けないがこの10円をお賽銭に神社へ参って、彼女の良縁を願おう。余計なお世話かしら?
  (2009.09.23 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2009年9月17日 (木)

「頑張れ、4年生」

    岩国市  会 員   中村 美奈恵

 夏休み明けの参観日、体育館で運動会の踊りの練習を見た。去年は花笠音頭、4年生の今年はソーラン節を踊る。

「1、2、3」。先生の掛け声で振り付けを繰り返す。腰を落とし、動きに強弱を付ける。「♪どっこいしょ、どっこいしょ」。唄に合わせ力いっぱい網を引く。全身を使った激しい動き。次から次へ変わっていく振り付けに、子どもたちは汗びっしょりだ。

 親たちは、教室に移動して衣装を作る。すその長い青い法被。背中の中心と両脇に大きく切り込みを入れた。この衣装で踊ったら、さぞかしカッコイイだろうな。

「みんな 期待しているよ」
  (2009.09.17 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2009年9月15日 (火)

「エッセー」

    岩国市  会 員   井上 麿人

 
その日の教材はリンゴ。描きあがった絵を見て、先生が無造作に赤絵の具で塗りつぶした。  「君のリンゴは着物を着ている」。裸にされたリンゴは、日の丸のようになっていた。理解できないまま高校を卒業した。

 最近、エッーについて題材を忠実に描写し、少し拡張、修飾を加え「着物を着たリンゴ」のように描くか、それとも裸のリンゴに見えないよう「うそという名の毒」を混ぜ、真実を表すかで迷っている。

 作家、佐藤愛子さんが述べている。「ぜんぶ本当だとわれても困るのよねえ」。私「そうですよねー」
   (2009.09.15 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2009年9月13日 (日)

「成長記し孫新聞100号」

   岩国市  会 員   片山 清勝

 B5判片面でカラー、2枚だけ印刷する小さな孫新聞が100号になった。8年余の歳。よく続いたと喜んでいる。
 京都に住む孫娘の3歳の誕生前「平仮名が読めるようになりました」と嫁からメールが届いた。孫とのコミュニケーションを図ろうと思い、パソコンで新聞作りを始めた。成長に合わせ何度か模様替えし、今は市販のソフトを使い「新聞らしい新聞」に挑んでいる。
 記事は、わが家のたわいない日常をデジカメの写真と一緒に載せる。誕生月などには熱が入る。何度も読み直して印刷し、1枚は孫へ郵送、1枚はファイルする。これまで続いたのは孫が喜んで読んでくれているからだ。 
 ファイルを繰ってみると成長の様子が分かる。何よりうれしいのは、少し小さく生まれ心配させられたが、大病を患うことなく育ったことだ。 

 孫は小5で成長一途だが、私は加齢の途を進む。いつまで作り続けられるか分からないが、パソコンが楽しく使え、新聞作りが面白い間は工夫をしながら続けたい。孫は新聞が届くかぎり、きっと読んでくれる。      
  (2009.09.13 中国新聞「広場」掲載)

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2009年9月 7日 (月)

「ほろにが青春期」

    岩国市  会 員   吉岡 賢一

「集合場所は八重洲口でーす」。念を押す先生の声を聞き終わるや、自由行動で新宿へ。一応の目的を果たし、東京駅に戻った。集合時刻が迫るのに同級生の姿はない。

 しばらくして、ここは丸の内側だと気付いた。どうすれば集合場所に行けるのか。あっちにウロウロこっちにウロウロ。ついにタクシーで八重洲口へ。そんなほろ苦さの残る東京との初対面。50年前の修学旅行での一コマである。

 それ以来、具体的な夢や確固たる希望があるわけでもないのに、東京という大都会に無性に憧れた。自分の力でなんとかなるという錯覚もあって、ただ憧れた。

 結局は大きな一歩を踏み出せないまま地元で就職、親から感謝される日々となった。「東京午前三時」など東京を歌い上げた演歌に、憧れの思いを重ねながら、普通の田舎の生活にいそしんだ。

 そして50歳を過ぎて、図らずも東京本社勤務を拝命。あのころとは異なる感覚で、自分の力量を東京で試すチャンスを得た。仕事場としてはやり甲斐があった。しかし寸分のスキも見せられない怖さもあった。子育てや親孝行は故郷に勝る所はない。  
  (2009.09.07 朝日新聞「声;特集『東京』」掲載)

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2009年9月 5日 (土)

「日頃から豪雨、地震に心構えを」

    岩国市   会員   横山 恵子

 この夏、特に心が痛んだのは、異常気象のせいかゲリラ豪雨が多発し、土砂崩れや避難途中で被害に遭われた人が多かったことだ。それを聞いたとき、4年前の9月の台風14号で山口県東部の錦川が氾濫した時のことを思い出した。

 当時、錦川沿いにある老人福祉施設に勤めていた。その日の夕方仕事は終わったが、「大雨でとても帰れる状態でない」という同僚の言葉で、結局、職場に泊まり避難してこられた人たちのためにおむすびをつくった。

 自宅にいた同僚は、避難するように言われ外に出たが、途中、腰辺りまで水が着たので引き返した。そして二階へ避難したが、階段まで水があふれ洗濯機などが流された。また、いとこの夫は仕事から帰る途中、川か、道路か分からなくなり、車が水没し動かなくなったという。私も無理に帰っていたら被害に遭っていたと思う。翌日、被害の大きさを目にして言葉もなかった。

 日本中どこで集中豪雨や地震がおきるか分からない。日頃からどこに避難するか考えておく必要がある。我が家近くの小川は穏やかな流れだが、いざという時は牙をむく。夜間は特に危険だ。

 災害は忘れた頃にやってくるということわざを肝に銘じておかなくてはと思う。

        (2009,09,05 朝日新聞『声』欄 掲載)

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2009年9月 3日 (木)

「味 覚」

        岩国市  会 員   檜原冨美枝

秋は一年中で一番好きな季節。果物は豊富で、なかでも無花果がおいしい。子供のころ我が家ではあちこちに植えてあり、学校から帰ると木に登り、手当たり次第食べた。大人の□にはなかなか入らなかった。

 そのうち、クレームがついた。兄の提案で、自分の持ち木を決めた。
()木はけんかをすると枯れるという言い伝えがあった。なんとその年、見事に枯れた。うそのようなほんとの話。遠い昔の苦い思い出。

 今スーパーでは、ふっくらと柔らかく熟れた無花果が並んでいる。値段もそこそこ高い。買って食べてみるが、やはり我が家のあの味は忘れられない
。 
   (
2009.09.03 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2009年9月 2日 (水)

「猪口を合わせて」

        岩国市  会 員   吉岡 賢一 

食卓にお猪□が二つ並ぶようになったのは今年の初め頃だったろうか。下戸の標本のような私。ほんの少々たしなむ妻。合わせても晩酌と呼ぶのもおこがましいほどの酒量である。それでも一日の締めくくりに「お疲れ」「ご苦労さん」と言葉を交わし、カチツと合わせるお猪□の音を楽しんでいる。
 
母と3入暮らしの頃は、母に誘われるまま、たまに楽しんでいた晩酌。母の大腿骨骨折入院を機に封印した。 
「高齢ゆえ、いついかなる状態になるか。そのリスクをしっかり承知しておいてください」と医師からも、続く介護施設入所の面談でも厳しく申し渡された。 
 
夫婦で「2入同時にお酒を飲まない」「携帯電話は肌身離さない」と誓った。緊急呼び出しにもすぐに車で対応できる態勢を整えておく。それが母と一緒に生きている証しなのだと思いたかった。
 
骨折から3年、101歳の母を昨秋見送った。その頃から携帯電話の扱いがぞんざいになり、どこに置いたかすぐ忘れる。固定電話で音を鳴らし探し当てることも多い。ただこれは、肌身離さなかった頃の緊迫感から解放されたせいだけでもなさそうだ。
 
晩酌を復活させたように、携帯電話にも楽しい話、おいしい話での出番を増やせるよう努力して、少し緊張感のある生活リズムを取り戻そう。母の年を目標に、元気で楽しい老後を目指して。
  (2009.09.02 毎日新聞「男の気持ち」掲載)

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2009年9月 1日 (火)

「ついに……」

   岩国市  会 員   樽本 久美

仕事から帰ると郵便が。そろそろ発表があるなと気にしていた。昨夜の夢では……。片目をつぶって開けてみると「入選」の2文字が。3年前、母が「仮名」で初出品、初入選。書歴は私の方が長いのに。

 
私は「漢字」なので部門が違うが、母の生きているうちになんとか吉報をと思っていた。この願いがかなったのである。

 
私が長年習った先生にはこの報告は間に合わなかった。でも、奥様には報告できた。本当に喜んでくださった。喜びの報告をしているときにも、涙が出てきた。温かく見守ってくれた家族や先生こ感謝、感謝である。
  
  (2009.09.01 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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