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2010年8月

2010年8月27日 (金)

「ああ川柳」

    岩国市  会 員   樽本 久美

 
川柳を始めて5年。だんだん奥深さが分かり、最近は毎月の定例会で作るのが精いっぱいだ。たった17文字に思いを入れることの大変さを痛感する。全日本の川柳大会に投句した「渡る」が、なんと入選した。あまり悩まずに作った句だった。新聞の「季語刻々」を読み、毎日切り抜きをしたことが良かったのかな。

 
本当に「継続は力なり」である。何でも近道はない。その旬は『信号で手をあげているランドセル』。主人に見せると「小学生が作った句だな」と。それでいいのだ。誰でも分かりやすい句が私の理想なのだ。
  
 (2010.08.27 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2010年8月26日 (木)

硫黄島遺骨 収集早く

   岩国市   会 員   横山 恵子

 8月は原爆の日、終戦の日と、まさに祈りの月だ。14日付の夕刊1面の硫黄島ルポ「漆黒の地下壕いまだ眠る1万の遺骨」を読み、ええっ戦後65年もたつのに1万人もの遺骨か眠っておられるのかとショックを受けた。
 日本兵が立てこもった硫黄島の地下壕は、わずかな時間でも人間が耐えられるとは思えない場所。そこで約2万人の日本兵が命を落とし、今も1万人以上が遺骨のまま眠る・・・。その地を、この7月、遺族たちが訪れて黙々と収集を続け、遺骨や目用品などを次々と運び出したという。
 4歳で死別した父親に思いをはせる人の「わたしの願いはこの島で安らかに眠っていただくことではない。水もない灼熱の地で戦い、まだ熱い壕の中で眠っているご遺体を一刻も早く本土にお連れしたい」との言葉に目頭が熱くなった。
 その思いを一日も早くかなえてあげてほしい。お国のためと戦い、家族を思いつつなくなられた人たちや遺族の無念さを思う時、戦争のない平和な世の中をつくっていくのが、私たちの役目だと思う。
  (2010.08.26 中国新聞「広場」掲載)

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2010年8月22日 (日)

「思い出のなかで」

     山陽小野田市  会 員   河村 仁美 

 
食べ物というのは思い出と結びつく。ふるさとの我が家を思い出す時、真っ先に私の目に浮かぶのは庭のゆすらの木だ。増築の時、母の里へ移植させたが子供のころよく食べた。真っ赤に熟れた小さな実を口に含むと甘酸っぱい昧がした。

 毎年この時期になると必ず父からゆすらの絵手紙が届く。誰も見たことがないので、写真を送ってと頼んだら今はないという。父が記憶をたどって描いていたそうだ。ゆすらには、もう思い出の中でしか会えなくなった。絵手紙をずっと見ていたら、ふるさとを思い出し、懐かしい昧が口中に広がった。
  (2010.07 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

       

  

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2010年8月20日 (金)

「待つ宵草の咲くころ」

  岩国市  会 員   吉岡 賢一

 黄色いかれんな待宵草が花を付け始め、終戦記念日を、迎えると、広島、長崎へ投下された原子爆弾の地獄絵や、じゅうたん爆撃によって焦土と化した我が住む町を連想する。
 
3歳7ヶ月で迎えた終戦。おぼろげな記憶の中で、食べるものがないひもじさと、いつまでたっても貧乏に追いかけられた惨めさは、この身に染み付いている。
 成長と共に、戦争の愚かさや人間の浅ましさ、哀れさをかみしめ、平和の大切さと有り難さを肝に銘じながら、昭和と平成を生きてきた。
 
核兵器廃絶はもとより、全ての殺害兵器をこの世から追放する声をゆるめてはならないと、改めて思う。
 核兵器や進化した化学兵器を駆使する戦争を起こせば、間違いなく両者が滅亡のふちに沈む。そうしたことを、当事者に知らしめる強いメッセージとして、発信し続けなければならない。
 核兵器を保有している大国や先進国は、発展途上国に対して核兵器を持ってはいけないという。このゆがんだ現在の世界の仕組みを見直さなければならない。
 
核不拡散条約などの国際条約に、「すべての核兵器廃絶・核開発禁止」「戦争放棄」を盛り込ませると言う勇気ある努力を、日本に期待したい。
  (2010.08.20 朝日新聞「声」掲載)

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2010年8月17日 (火)

「ババドルちゃん」

   岩国市  会 員   山下 治子

お鍋が歌い、お釜が笑う。ジュージュー、コトコト。滑り台の園児が叫ぶ。「いいにおいする。今日の給食、なに?」。「ドライカレーとニンジンゼリー」。「おなか減ったあ」と声がした。食器がカチャカチャ慌て出す。給食おばさん、汗だくで、やれやれ何とか間に合った。
   

お皿をさげて年長さん「ババドルちゃん、ごちそうさま」。ニンジン嫌いな男の子、「おれ、ゼリー食べたあ!」と得意顔。Vサインして「はい、タッチ」。アイドルならぬババドルちゃんは、園児の保護者が名付け親。それは私の勲章。もう3年前の話……。
  (2010.08.17 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2010年8月16日 (月)

「むかえ火の向こうで」

          岩国市   会 員  吉岡 賢一

 広島東洋カープをこよなく愛した父が亡くなって38年目の夏を迎えた。創設以来の熱烈なファンで、たる募金にも大いに協力し、球団を支えたのが自慢の一つだった。
 真空管ラジオに耳をくっつけるようにして実況を聞く。

チャンスに打てなくて敗色濃厚になったり、電波事情でラジオの声が小さくなったりすると、壊れんばかりにラジオをたたいて八つ当たりもした。
 勝率3割を狙うのが精いっぱいの弱小球団に業を煮やしながらも野球はカープ一筋。絶対的な存在であった。
 勝てば自分の手柄のように喜び、負けたら一緒になって落ち込む。それでもまた次は必死に応援する。
 ファンというものは、ありがたいものだ。そんなファンに報いる活躍と結果をそろそろ残さなければ、本当にファンは遠のいてしまいそうだ。
 1975年初優勝の喜びも、それに続くカーフ第1期黄金時代も全く知らない父。迎え火をたいて歓迎しても、今年のカーブの成績を見たら「あのころと何も変わっちょん」と嘆くに違いない。
ちなみ亡くなった73年は最下位だった。

         (2010.08.16 中国新聞「広場」掲載)

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2010年8月11日 (水)

「私はアッシー君」

     岩国市  会 員   横山 恵子

 
夫が突然「警察に行ってくれ」と言い出した。やっと免許証の返納を決意したのか。6年前、脳こうそくで手足が不自由になって以来、アッシー君は私。夫は免許を取得して30年余り。初めて横に乗った時は夫の緊張感が伝わってきて、私もハラハラドキドキ。

 子供たちが幼かったころは、車の音で「あっ、お父さんが帰ってきた」と一斉に出迎えし、出勤途中にエンストしてタクシーで行ったことも。

 60代で返納なんて無念よね。でも交通ルールを守って無事故で卒業できた。これからも私がお父さんの「足」になるから。
  (2010.08.11 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2010年8月 8日 (日)

「手術痕ある人も入浴着で安心」

岩国市 会 員   貝 良枝

女性なら誰でも乳がんへの恐怖感が多かれ少なかれあるだろう。知人にも乳がんになった人が数人いる。早期に発見できたので手術痕が小さくて済んだ人もいれば、そうでなかった人もいる。彼女たちの話を聞くたびに定期検診の大切さを感じ、積極的に検診を受け、自己チェックもしている。それでも心配だ。
 先日、ある温泉施設の脱衣所で「入浴着」を説明するポスターを見つけた。それは胸をふわっと覆うもので、背中が大きく開いたワンショルダー型だ。ひもで体に巻きつけて留める構造になっている。湯水がしみこみにくい素材を使っているので、着たままで体を洗うことができ、衛生面でも安心と書いてあった。
 
手術痕のある人は、その大小にかかわらず温泉や公衆浴場は避けてきたのではないだろうか。多くの人が入浴着のことを知り、入浴着を身につけている人を見かけたら温かく見守るようにすれば、誰もが温泉やいるいろなお風呂を楽しめると思う。
 
 (2010.08.08 毎日新聞「みんなの広場」掲載)

      

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2010年8月 7日 (土)

「初体験」

       岩国市  会 員   林 治子

動物病院で外耳炎ですかと聞く。診断の結果、そうではないと言われ、ホッとした。体重を量ることになった。柴犬のくせに用心深い。体重計に乗るかどうか心配。怖いのか、いくら引っ張っても動こうとしない。とうとう大声で「早う乗らんね」と一喝した。ビクッとして怖々と足を乗せた。やれやれ。

えっ、よく見ると右後ろ脚一本で踏ん張っているではないか。体重計が動くのを心配でストッパーをかけているつもりらしい。しっぽを握って引っ張り上げ、やっと乗せた。みんなの笑い声と拍手。得意そうな顔に変わっていた。
 (2010.08.07 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2010年8月 6日 (金)

退職記念に貰った似顔絵(副題;「よ」さんの似顔絵)

   岩国市 会 員   山本 一

7年前、二度目の東京勤務の時に定年退職を迎えた。岩国から妻を呼び寄せ、単身マンションの片付けをした後、横浜のランドマークタワーへ食事に行った。

展望台には似顔絵のコーナーがあり、数人の絵描きさんがいた。妻が学生風の小柄な女性に「主人の退職記念です」と言ってお願いした。似顔絵を描いてもらったのは、後にも先にもこれが初めてである。

今、その似顔絵は書斎のど真ん中にかかっている。肩を寄せ合い花束を持っていて、何だか気恥ずかしい。妻の大きなほくろやたれた目、私の糸を引いたような細い目など、よくこんなに特徴をつかんで描けるものだと感心する。いかにも仲が良さそうな、温かい感じの絵だ。「夫婦はこうあって欲しい」という作者のメッセージが感じられて、とても気に入っている。けんかしても、この絵を見ると仲直りできそうだ。

あの時の絵描きさんは、今どうしておられるのだろうか。「5年間の東京・横浜生活、おつかれさまでした!」と書いてあり「よ」というサインがしてある。「よ」さん、心のこもった絵を描いていただき、ありがとうございました。

  2010.08.06 朝日新聞「声」掲載)

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「はんぶんこ」

      岩国市  会 員   吉岡 賢一

丹精して育てた収穫目前のスイカが何者かに襲われ、ほとんど食い荒らされた。初めての苦い経験だった。それから1週間、2番なりのスイカがまた大きくなりはじめている。

スイカ泥棒の鋭いつめや牙から守るため、金網で円筒を作り、その中に実と茎を入れてフタをした。全く罪のない青いスイカが、まるで罪人扱いだ。ここまでやっても、いったん味をしめた彼ら、次はどんな手を使って襲ってくるのか。

 おいしいものを食べたいのは、お互い様だ。少しだけでいい、孫にも味わわせてやってくれ。
 (2010.08.06 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2010年8月 2日 (月)

「苦い思い出」

      岩国市  会 員   檜原 冨美枝

「アーン、アーン。なんで起こしてくれんじゃったん」。二男は泣き叫んだ。今年こそは完全無欠を決めていたらしいが、親の不注意で遅れ、近くの小学校の校庭ではすでにラジオ体操が高らかに鳴り響いていた。

 子供心にも初日が大事と考えていたのだろう。家族8人の朝食の準備に追われて、気が付けば約束の時間を過ぎていた。いくら謝っても聞き入れない。大切な子供心を踏みにじった親の責任は重い。

 ついに祖父母の提案で、動物園行きの約束をし、何とかことなきを得た。50年前の夏の日の暑い思い出。
  (2010.08.01 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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