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2010年9月

2010年9月28日 (火)

「定期健診のすすめ]

    岩国市 会員  吉岡 賢一

 
 遊び仲間で、とても元気のよかった同級生が緊急入院した。頭が割れそうに痛くなったので病院に駆け込んだら、脳梗塞と診断されたという。
 対応が早かったため、言語や手足の不自由もなく、大事に至らなかったことを「不幸中の幸い」と喜んでいる。
 異常に対する素早い行動で、自らの危機を脱出した彼の勇気に刺激を受けたのか、今年はまだ健康診断を受けていないことを思い出した。急ぎマイ・ドクターに所定の健診をしてもらった。
 会社勤めの四十数年間は、必ず1年に1度、医師による健診を受けていた。
 完全リタイアした今では、自治体から健診案内が送られてくるが、強制力がないため、ついなおざりになったり、忘れてしまったりする。
 年齢を重ねた今こそ、自分の健康は自分が守る意識を持って、積極的に定期健診を受け、不具合なところの早期発見に努めたいものだ。
 
その配慮こそが楽しく元気に長生きする喜びにつながるのだと思う。ひいては増大する医療費の削減にも貢献することになるのだろう。
   (2010.9.28 中国新聞「広場」掲載)

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2010年9月12日 (日)

「アサガオに癒やされた暑い夏」

    岩国市  会 員   片山 清勝

8月上旬、体調を崩して気分のすぐれない妻が「今朝もたくさん咲いて色もきれい」と見ていた。梅雨のころ、苗に添えられた写真を見て買った数株のアサガオ。それが盛りと咲いていた。その様子が妻の気分を癒やしてくれたようだ。
 「花からは、もの言わぬ生命力が伝わります」という病床記を読んだことを思い出す。妻は、それに似たことを感じたようだ。すると、自由気ままに伸びているように見えるアサガオのつるにも、何か力を感じる。
 盆過ぎに体調が戻ってからも、妻は起床するとアサガオを眺めた。アサガオも妻の視線に応えるようによく咲いてくれた。水当番の私は、いい花が一日でも長くたくさん咲くよう、気持ちをこめて水をまいた。 
 「来年は、このアサガオの種を植えたい」と妻は言う。それは花に癒やされたという感謝の気持ちからだろう。暑い暑い夏だったが、これまでにない、よい夏の終わりになりそうである。
 (2010.09.12 毎日新聞「みんなの広場」掲載)

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2010年9月10日 (金)

広場欄 交流と知満載

     岩国市  会 員   片山 清勝

 私が中国新聞の広場欄へ投稿を始めて3年半。初めて掲載されたとき「読みましたよ」と町の中で声を掛けられ驚いた。そのとき、読者は内容とともに「誰の」投稿かにも関心があることを知った。

 それまでは読むだけで、投稿者の名前を見て「この人は知っている」くらいだった。それ以降投稿者の名前を意識し始めた。

 すると、この人はまた掲載された、前回の続編のようだ、子育てが楽しそうだ、地域活動を熱心にされているなど、投稿者を身近な人と感じるようになった。

 投稿者に知人の名前を見つけることもある。同じ住所の人だと親近感を感じる。また、元同僚の思いもしなかった活躍の場を知り、エールを送ったこともある。

 書いたり読んだりは衰えの防止になるという。楽しみながら投稿し、載れば喜び、メールや電話の感想でまた喜ぶ。知人らの活躍も知れる。

 広場とは「ひろびろと開けた場所」。広場欄はただの広場でなく、交流と情報と知の詰まった文字の世界だ。そんな思いで内容の備わった投稿を続けていきたい。

   2010.09.10 中国新聞「広場」掲載

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2010年9月 7日 (火)

もらった消火器「備え」が生きた

  岩国市  会 員   樽本 久美

 夕方、台所のガスコンロで魚を焼いていた時のことだ。電話が掛かってきて別の部屋で話していた。焦げ臭いにおいがしたので、台所に戻ってみると、コンロから炎が上がっていた。ぬれたタオルを掛けたが、火は消えなかった。その時、消火器があるのを思い出した。

 数年前に知人からもらった消火器だが、いざ使うとなると、気が動転して焦った。「落ち着いて」と自分に言い聞かせ、説明書の手順を読んだ。安全ピンを引き抜いてホースを火元に向け、レバーを握って薬剤を放射した。火が消えた瞬間、ホッとした。我が家で消火器の出番があるとは思いもしなかった。「備えあれば憂いなし」と実感できた。
  (2010.09.06 
読売新聞「気流」掲載)

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2010年9月 6日 (月)

古里からラジオ体操

   岩国市   会 員   山本  一

 8 月31日、日課になっている朝6 時30 分からのラジオ体操をした時のことである。ラジオから「本日は夏季巡回ラジオ体操の最終日。場所は島根県の最南端、吉賀町です」と聞こえてくる。私の古里ではないか。

 六日市の人たちの掛け声に合わせてラジオ体操をしていると思うと、いつもより気合が入る。

 第1体操と第2体操の間に「六日市中学全校生徒55人も参加しています」と言っている。 「私たちの時代は3 0 0人近くいたのに」と、 昔を思い出した。

 私は兄弟4人とも中学卒業後に六日市を離れ、岩国の高校へ通い、そのまま他県に就職した。今、実家は空き家となり、田畑は他人に管理していただいている。

 岩国の介謹施設に居る母のために、吉賀町から定期的に町報が送られてくる。紙面から懸命な過疎化対策の様子が伝わってくる。

 見方を変えると、「中学生が55人もいるのだ」という気もしてくる。いつも、吉賀町頑帳れ、六日市頑張れと心の中でエールを送っている。古里を離れた一抹の責任を感じながら。

   (2010.09.06 中国新聞「広場」掲載) 

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