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2011年3月

2011年3月30日 (水)

「命育む野生のドラマ」


   岩国市  会 員   吉岡 賢一

 窓の向こうに瀬戸内海が広がる。その見晴らしを半分さえぎるように小高い雑木林が横たわる。その一角に初めて、アオサギが巣を架け、3羽のヒナを育てたのが一昨年の春。
 昨年は4組のつがいがやってきて9羽のヒナを育てた。
 今年もまた2月下旬に大勢でやってきた。すでに数組のカップルが出来上がっている様子で、巣作りを始めている。
 地上10㍍の、ヒョロヒョロと伸びた木の最上部は、風が吹けば右に左に大きく揺れて巣が落ちそうになる。雨や日照りを避けるすべもない。
 「何故あんな危なっかしいところに巣を架けるのか」毎年ハラハラする。
 彼らにとっては、近くに海があり餌は豊富。産卵・子育てには天敵を避ける高い木の上が最適。子孫繁栄の条件が整っているのかもしれない。
 新しい命を育む野生の懸命な営みを眺めていると、こちらも元気が出てくる。窓の向こうに、とってもぜいたくな時間が流れる。
 さて今年は何羽のヒナが、元気な巣立ちを迎えるのだろう。
2011.03.30 朝日新聞「声;特集『 私のぜいたく』」掲載)

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2011年3月28日 (月)

「けんか」

  岩国市  会 員   吉岡 賢一

犬も食わないと言えば夫婦げんかの代名詞。それほど愚かなことなら最初からしなきゃいいとわかっちゃいるが、時に衝突することもある。

結婚当初から両親と同居の私たちに、長女・長男が誕生し父が他界。3世代5人の生活に落ち着いた。子どもの成長に合わせたお祝い事やしつけなど、いろんなことがある。夫婦や親子の意見の相違も出てくる。時にいさかいの種にもなる。

「嫁と姑の戦争をさせないこと」を親と同居する男の甲斐性でもあり、妻に対する最低限の思いやりとして結婚以来肝に銘じてきた。そのためにはまず私たちが夫婦げんかをしないこと。けんかになれば母は必ず私に味方する。2対1になるだけでなく、嫁と姑の折り合いまで悪くなる。

2人の間に挟まって右往左往する哀れな男を演じないためにも、家庭円満の知恵をしぼり、自分を抑える努力もした。それでもたまにムカッときて、一言、言わなきゃ収まらない時もある。

そんな時、母の前で嫁さんをこき下ろしてはこれまでの努力が無駄になる。まずは自分を抑え、寝室で夫婦2人きりになるのを待っておもむろに話す。同様に母に小言を言う時も、自分の部屋に戻るのを待って母と2人で本気で話す。

つまり、けんかも小言も1対1の差し向かいになるのを待つ。この待つという時間が、ほとばしる怒りを抑える絶妙の間となる。気持ちの角が取れ、冷静な自分に返り、いさかいがアホらしく思えてくる。

「言いたいことは明日言え、短気は損気」という母の長年の教えを守っているだけのことである。

   (2011.03.28朝日新聞アスパラクラブ「天声新語「けんか」掲載)

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「香りを拾う」

        岩国市  会 員   貝 良枝

山かげにはまだ雪が残るある日の午後、隣の畑で梅の木の剪定作業をしていた。切り落とされた枝には、米粒ほどのつぼみが。

小さいが確かに膨らみ始めている。「おじさん、ひとつ枝もらっていい?」「ああ、なんぼでも」

こたつ守をしている男が1人。体の痛みに顔をゆがめている。梅の香りをかげば、眉間のしわも緩みはしないだろうか。

欲張ってつぼみがたくさんついた枝を選んだ。大きな枝をソファにもたれるように置いた。むせるほどの梅の香りで、早く春を感じさせたい。

 (2011.03.28 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2011年3月24日 (木)

「崇高な使命感」

  岩国市  会 員   沖 義照

 驚き、恐怖、怒り、哀れみ、無力感。連日テレビを通して、ありとあらゆる感情が呼び起こされる東日本大震災。

 現実のこととは思えないまま目を凝らす。どこから手をつければ良いのか分からないほどの惨状。

 すぐに救命救済・復旧活動が始まった。わが身はもちろん、家族をも犠牲にして任務につき、難局に立ち向かう崇高な人々の姿を各所で見る。頭が下がる。
 

やっぱり日本人ってすてたものではないじゃないか。近年バラバラになりかけていた日本人の心が、強く1本になっていく。私が今できることを考える。
 
  (2011.03.24 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2011年3月15日 (火)

「感謝の日々を」

   岩国市  会 員   檜原 冨美枝

私は貧血症で寒がりで疲れやすい。そうかといって大病をしたことはなく、なんとか生きてきた。ただ、年を重ねるごとに耳が遠くなり、周囲に迷惑をかけている。私のことをよく知っている人は講演の時などは通訳をしてくれる。


 でもいつまでもそれに甘えるわけにはいかない。外出も控えないといけないと思うが踏ん切りがつかない。 


 でも、目が悪くならなくて良かったと思う。時折、物静かな主人との会話の中で聞き取りにくいことかあり、癇癪(かんしゃく)を起こすぐらいのことだ。これからは、癇癪の「く」の
をのけて、感謝の日々にしよう。

2011.03.15 毎日新聞「はがき随筆」)

 

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2011年3月 9日 (水)

スクーターで往診

   岩国市   会 員    片山 清勝

 私が中学2年の時、学年末試験初日の深夜、突然、腹が猛烈に痛くなった。心配した父は町内に一軒だけの医院に向かって自転車で走った。

 ほどなくして外にスクーターが止まる。先生が入ってきて丁寧な問診と診察、注射。父は薬を取りに、もう一度医院へ。痛みは朝までに消えた。冷たい風の吹く冬の深夜、いとわず往診してくれた町のお医者さん。亡くなられるまで家族でお世話になった。医院の看板は今はないが、家の外観は変わっていない。

 今のような救急制度の無い頃、地方の町では「お医者さん」と尊敬語で呼んだ。そうした医師の献身的な働きに救われた人は多い。日頃から診てもらっている、診ているという安心と信頼の絆が育っていた。近くに救急病院のない時代、50年以上も前のことだが、住んでいた町の医院のありがたさを思い返す。

 今は遠くに近くに、救急車のサイレンを聞かない日はない。多くの家の家庭医として、往診に使われていたスクーター。タッタッタッという軽快で静かな音が懐かしい。

  (2011年03月09日 朝日新聞「声」掲載)

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2011年3月 3日 (木)

「小さな騎兵隊」

岩国市  会 員   林 治子

 

 散歩の途中。なんとなく道を右折した。しまった。向こうから7、8人の小学生が自転車に乗ってやってくる。ガヤガヤと大声でしゃべりながら、道幅いっぱいになっている。これでは避けようがない。胸がドキドキ。

 向こうも私に気が付いたのか、急に右端に一列になった。すれ違うちょっと手前でさっと敬礼し「こんにちは」と言った。後ろに続く子供たちも「こんにちは」と敬礼。あっという聞のさわやかな出来事。

 私も返礼し「ありがとう」と言っていた。みんないい子。私の思い過ごしたった。垣根の梅のつぼみも膨らんでいる。
 (2011.03.03 毎日新聞「はがき随筆」掲載) 

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