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2011年4月

2011年4月28日 (木)

「未来を信じて前へ」

        岩国市  会 員   中村 美奈恵

就職活動中の大学4年の息子が私に聞く。「最近、心に残った新聞記事は何?」。先日受けた会社の面接でそう聞かれたという。私はその日の新聞を広げながら「これ」と指さした。「今だからこそ宝物は何ですか」。それは、東日本大震災で避難されている人たちが、自分の手元に残ったものの中から宝物を見せてくれる記事だ。
 86歳の女性は手作りの「手提げ袋」。私と同じ歳の女性は焼け残った「封筒」。子供たちを抱き寄せた42歳の男性は「家族」。理由を読みながら、手にした宝物が一人一人にとってどれほど大事かを考えた。息子は言う。
 「面接でこんな記事に感動しましたと答えると、だから、どうしたのかと問われる」
 私は言った。
 「人って元気なときばかりじゃないよね。何かがうまくいかないとき、気持ちが落ち込んでいるときに、こんな記事にあったら、自分も頑張らなきゃあって、また前を向いて歩き出すんじゃないかね」
 息子はうなずき、記事に見入った。「僕はこれが一番いい」。指さしたのは右手を胸に当てた84歳の男性の写真。 
 「妻にまだ会えないが、思い出はここに」

悲しみの中にあるだろう男性のほほ笑みが心を打つ。

就職活動する人たちにとって、今は最も大変な時期だ。不採用の通知、返送された履歴書に落ち込む息子。

未来を信じて頑張って。

  (2011.04.28 毎日新聞「女の気持ち」掲載)

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2011年4月22日 (金)

「つつましく」

岩国市   会員   吉岡 賢一

一瞬にしてすべてを奪ったあの大震災。避難生活の不自由さや苦しさを目にする時、我が家の生活もすべての面で細かく見直しをしていることに気付く。  

多くを買い込んで冷蔵庫をフル稼働させる電力の無駄遣いをやめた。ガソリンは満タンをやめ、車を軽くする。出掛ける回数も極力減らし、一度により多くの用件を済ませる。

これまで特に気にしなかったこんなささいなことが、我が国再生や復興の原動力につながると思えば長続きがする。忘れかけていた「つつましく生きる」という生活。気持ちまでまろやかにしてくれる。  

 (2011.04.22 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2011年4月20日 (水)

「郷愁の香り」

    岩国市  会 員   横山 恵子

仏壇のスイセンがほのかに香ってきた。幼いころを思い出させる香りだ。私はおてんばだった。あれは忘れもしない6歳の春。2歳下の妹を連れ、友たちと川に置いてある船に出入りして遊んでいた。突然「ドボーン」という音に驚いて振り返ると岸に立っていた妹が川の中に。

私は泣き叫びながら走り、浮き上がってきた妹の手を思いっ切り引っ張った。手をつかんだ瞬間「助かった」と心の中で叫んだ。重い足取りで帰る途中、母に会った。びしょぬれの妹を背負った母の後をとぼとぼと……。ほろ苦い光景が香りと共によみがえった。
  (2011.04.20 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2011年4月15日 (金)

まめに動き体調改善

  岩国市 会 員   山本 一

現役時代と大きく変わったことに医者通いがある。耳鼻科、眼科、歯科、内科、整形外科、皮膚科など、これを病名で数え上げるとため息が出る。

致命的ではないが、黄色信号。いわゆる境界域である。ところが、最近ようやく峠を越えてきた気配だ。

医師の治療の成果は勿論だが、現役時代と大きく変わった生活態度のおかげだと思う。

食事に気をつけている他に、毎日1万歩目標と1日3回のスローステップを継続している。釣り、川柳、エッセーなど、趣味ざんまいでストレスからも逃げている。

だが、一番大きく変ったことは、日常生活で積極的に体を動かすようになったことだ。

自宅でも1階と2階の間を何度も行き来する。徒歩でのゴミ捨てや買い物もすすんで引き受ける。

歩く時は川柳を作句しながら、スローステップはテレビを見ながらだ。毎日の生活も、中期、年、月、週、日計画を、日々手帳で管理している。

「昔とちっとも変わらない」と妻は言う。効率一辺倒だった現役時代の癖はなかなか消えない。

2011.04.15 中国新聞「広場」掲載)

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2011年4月 8日 (金)

被災児童の支援長く

  岩国市   会 員   片山 清勝

 東日本大震災の被害の大きさと深さに心を痛めている中、卒業証書を手にした児童らの顔に一筋の明るさを感じた。

 大きな揺れの後、押し寄せる山のような津波の恐怖、家族や多くの友を失った衝撃、住み慣れた町の無残な姿…。子どもたちには、あまりにも大きくて重すぎる現実だった。

 そんな中、避難所や土砂を除いた講堂、壊れた自宅でと、卒業証書授与の場所はいろいろだったが、証書を渡したいという学校と住民、親の熱い思いや願いが、かなえられた。

 避難という厳しい環境下で証書を手にした児童は、この喜びを決しておろそかにはしない。それは「復興へ立ち上がる力になる」という強い決意を話していることからうかがえる。

 「助かった命を大切にして故郷再興の力になる」。被災地で、そう誓う子らの新学期がはじまった。

 しかし、気の毒だが学習できる環境にはほど遠く、修復には長い時間を要するだろう。遠く離れた地からできるのは、息の長い支援を続けながら、力強く学んでほしいと願うしかない。

  (2011.04.08  中国新聞「広場」掲載)

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2011年4月 6日 (水)

「味の色」

岩国市  会 員   片山 清勝


 変色した一冊のノート。手書きの中に新聞や雑誌の切り抜きも挟んでいる。
ノートというより小冊子ほどの厚さ。それは妻のレシピ綴りだ。

 その中を見たことはない。かつて盆と正月に30人からの来客を賄った分量。亡くなった母や私の血圧を下げた味付け。息子の好きな煮豆の炊き方。孫が好む焼き肉のたれの合わせ方。そんなもろもろだと妻は話す。

 結婚から40数年。書きためた
そこには母伝来のものから、妻のものまでわが家の食卓の歴史が載っている。世に出ることはないノート。それは「わが家の薄味」色に染まっている。

  (2011.04.06 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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