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2011年8月

2011年8月26日 (金)

被災者支援の寄付金切手に温かさ

   岩国市   会 員   片山 清勝 

 郵便局の窓口でいつも買い置きする3種類の切手を求めた。局員は切手の種類を確認しながら「80円はこちらでどうでしょうか」と、別の図柄を示された。

 見れば「80+ 20」とあり、東日本大震災の被災者支援のため発行されている寄付金付きの特殊切手だ。

 80円切手に20円の寄付金がついて1枚100円。6月から売られているという。震災地支援と聞けば年金生活者とはいえ、後へ引けない。10枚購入した。

 未曽有の被災地復興にはそれに見合う財源が必要だ。今、国の本格的復興への道筋がやっと見え始め、これから期待するところとなる。この切手は来月30日までの限定販売。切手1枚からの支援も積み重なれば「輪」が広がり、力になるだろう。そう思うと小鳥や花、ハートをあしらった図柄に温かさを感じた。

 大地震、津波のみならず、福島第一原発事故に伴う放射能汚染の中での復興は報道で知る限り容易ではない。被災地から遠く離れており、手の届く支援は何も出来ないが、早い復興を心から願っている。

  (2011.08.26  朝日新聞「声」掲載)

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2011年8月25日 (木)

「夫には私こそ私には夫こそ」

   

 岩国市  会 員   山下 治子

           

40代後半、2年の約束で夫は単身赴任した。が、すでに10年が経つ。赴任当時はまだ働き盛り、食べるより飲むことで胃袋を満たしていた夫は、かなりな勢いがあった。

 だが近年、体調不良を訴えさっぱり元気がない。一人暮らしは偏食がちで、脂肪、糖分、塩分と仲良くなり、検診の数値は基準を上回ってしまった。たばこをやめ、ついに酒も控えはじめた。

 それより前は、たとえお産であっても家族が離れて募らすことはしなかったが、子どもの成長や親の事情とあれば、致し方ない。家族のためと分かっていても、単身赴任はやるせなさが日々つのる。夫は精神面でも変調をきたした。
医師から「10年ですか……。よく頑張っておられますね」と言われ、肩の力が抜けたようだった。

 

夫専属の家政婦兼介護人として、極力夫の元に出向く。合間には手料理を冷凍して送り、家族割り引きサービスの携帯電話で存分に会話する。子どもたちは「まるで遠距離恋愛やな」と笑うが、小気味よいその食べっぷりたるや、夫のスタミナ源は私だと思うのだ。

 赴任先の名物は、ひつまぶし。土用の丑の日、外食に誘ってみたが、「君の食事がいいんだ」と一言。夫の一言はうれしい私のスタミナ源となっている。
  (2011.08.25 朝日新聞「声;テーマ『スタミナ源』掲載」

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2011年8月20日 (土)

「桃作りし農家の苦労分かった」

      岩国市  会 員   横山 恵子

知人に桃の木を見せてもらったことがきっかけで、私も自宅のに木を植えた。「桃三年柿八年」のことわざ通り、植えてから3年後の08年に実が1つなった。

 09年は「今年こそたくさんの実を取りたい」と思って世話をしたが、実が付き始めた頃、葉や幹に大量のアブラムシが発生し、小さな実は大きくならずに傷んでしまった。10年はアブラムシに加え、アリやカラスにもやられ、一つも熟した実を取れなかった。

今年はインターネットで桃の木の管理方法や防虫について調べてみた。そして、実に袋をかける必要があることを知った。袋をかけると共に、日に何度もアブラムシなどを駆除し、虫よけに薄めた酢を霧吹きで葉や幹に吹き付けた。 

その成果か、一部に虫食いはあるが、20個ばかり収穫できた。さまざまな作業を通じて農家の苦労を少しでも知ることができたと感じている。これからは市販の農産物も農家に感謝しながらいただこう。

2011.08.20 毎日新聞「みんなの広場」掲載)

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2011年8月19日 (金)

「水やりをお願いして」

       岩国市  会員  山下治子

 半月ほど家を留守にすることになり庭の植物の世話に困った。特にプランターや鉢の花たちは手が抜けない。

 「忙しい」と主張する息子たちでは心もとない。「朝夕の水やり、10日間2千円でお願いできる?」。知り合いの近所の小学生と交渉が成立した。

 帰宅すると、グリーンカーテンのアサガオやゴーヤ、庭の花々が生き生きと咲いていた。草まできれいに引き抜いてあった。

 夕方、最後の水やりに来た彼を「大変だったね」とねぎらい、約束のお金を入れた封筒を手渡した。「あと少しで、ほしかったサッカーシューズが買える」。表情を輝かせながら、貯金していることをうれしそうに話した。

 私はとっさに「そうだ、これは草引き分ね」と封筒に心ばかりの「ボーナス」をいれた。「草は……お母さんが……」。困った顔をする彼に「大丈夫。お母さんにもあるのよ」とお土産を持たせると、「ありがとう」と大きくお辞儀をして急ぎ足で帰って行った。

 あす咲くだろう朝顔のつぼみをながめながら、息子たちの幼いころを、ふと思い浮かべた。

          (2011,08,19 朝日新聞「ひととき」掲載)

 

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「なんで」

岩国市  会 員   樽本 久美

「2人とも仲良しですか? 元気で仲良くね」とのはがき。10年前に行った「山口きらら博」から、私が書いたはがきが、両親の元に届いた。母は「よく遊びに来るのになんで」と不思議に思ったようだ。

 昔はよく旅先からはがきを出した。スタンプや切手も、その土地にふさわしいものを選んで送った。今はあまり書かなくなったが。母の引き出しには、私が大学時代に送った手紙や、母の日のメッセージカードまで保管されてあった。母親とは、なんとありがたいものだ。大学時代、母の小包には必ず手紙が添えられていた。

2011.08.19 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2011年8月16日 (火)

「胃の舞台」

   

岩国市  会 員   片山 清勝

医者が内視鏡で私の胃を画面に映し、診ている。私はベッドで同じ画面を見ながら説明を聞く。臓器の内部を見るという不思議な感覚。いつの間にか内壁の様子やその色模様などを真剣に見ている。胃の中で動きを感じるたび、そこが演技するように画面が変わる。

 見えない所が診られるようになった現代医学。どこまで技術が進歩するのか、あまりの長寿は考えもの。そんなことを思っていると「治っていますよ」の声で十数分の色鮮やかな舞台が終わった。

 仕事を終えた内視鏡がつり下げられ揺れている。物言わぬそれに心の中でそっと「ありがとう」。

  (2011.08.16 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2011年8月11日 (木)

「孫の成長を楽しむ水先案内」

岩国市  会 員   吉岡 賢一
 
 毎朝8時半、近くに住む小学5年と3年の孫兄弟がやって来る。夏休みの宿題を中心に、日記や自由研究、作文のヒントなどを考えながら、午前中を私と過ごす。いわゆる「じいちゃん学校」への登校である。机に向かうのはせいぜい40分程度。それでも集中力は途切れがちで、学習態度も決していいとは言えない。
 
 無理もない。学校から解放され、この世で2番目に甘えられる私が先生なのだから。 そうは言っても、私としては共働きの娘夫婦から預かった責任もある。「もう少ししゃんとせー」と大声を出そうと思うが、7割方は2人の言いなりになる。

 お昼には一番甘えられるばあちゃんがパートから帰ってくる。昼ご飯を食べさせ、プールへ送り出す。そうして娘の家で夕飯の支度をしながら、彼らの帰りを待つ。夕方には保育所から帰った2歳の三男坊が、ばあちゃんから離れない。孫に振り回される毎日である。

 それでも私たちは今、彼らが大きく成長していく過程の水先案内人をさせてもらっている。それは一つの贅沢であり、喜びである。そして何より、生きる活力、スタミナ源になっている。
2011.8.11 朝日新聞「声・テーマ『スタミナ源』掲載」)


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2011年8月 8日 (月)

「梅に寄せて」

岩国市  会 員   横山 恵子

朝市で同級生が梅みその作り方を教えてくれた。先日もらった梅は母が梅干しにした。そうだ。まだ梅の木に実が。悪戦苦闘してもいだら約1キロあった。昨年までは、なりっぱなしだったなあ。水に数時間浸し冷凍庫で凍らせ、瓶に梅、砂糖、みそを入れてでき上がり。

 熟成するまで1カ月の辛抱。梅は花も実も長く愛され続けてきた。脈々と受け継がれてきた自然の恵みに感謝。実には栄養はもちろん、血液を改善させ、肩こりにもいいんだって。

 しっかり食べて、梅干しじいさんになるまで、長生きしてくださいね。

2011.08.08 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2011年8月 4日 (木)

「慰霊碑の言葉を胸に」

      

岩国市  会 員   横山 恵子

 夏休みに入り8月6日が近づくにつれ、広島市の原爆資料館を訪れる人が多くなる。しかし、平和記念公園にある原爆の子の像と原爆慰霊碑は訪れても、他の碑を回る人は少ないように思う。 

 氏名不詳や一家全滅などで、引き取り手のない約7万人の遺骨が納められている「原爆供養塔」。朝鮮半島から強制的に連れて来られ無念の思いで亡くなられた人たちの「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」。 

 原爆投下の午前8時15分に毎日、世界に向けチャイムが「ノーモアヒロシマ」を強く訴える「平和の時計塔」。原爆詩集の「峠三吉詩碑」など、たくさんの碑が原爆の悲惨さと平和の大切さを訴えている。 

 この公園は、元は市内有数の繁華街だったが1発の原爆で一瞬にして廃虚となり、約14万人の尊い命を奪った。 

 現在の平和は、多くの人たちの犠牲の上に成り立っていることを忘れてはならない。 

原爆慰霊碑の「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という誓いの言葉を胸に刻んでおかなくてはと思う。

 (2011.08.04 中国新聞「広場特集 原爆の日に寄せて」掲載)

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2011年8月 2日 (火)

「メーンディッシュ」

       山陽小野田市  会 員   河村 仁美

ある日、娘から「メーンディッシュは枝豆でしょうか」と質問された。「フライも卵もウインナーも入れました」と弁当箱をのぞく。あらまあ、おかずが少ないのをごまかそうとして、3分の1がぎっしりと枝豆に占領されていた。 

 週末、「私、食べる人」を宣言していた娘がおかず作りに挑戦。携帯電話をピッと押せば、いろんなおかずのレシピがずらり。できあがったおかずたちが、出番を待っている。母の仕事はお弁当を作る人から、できるだけカラフルに詰める人になった。「お嬢様、本日のメーンディッシュ、いかがですか?」

   (2011.08.02 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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