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2011年9月

2011年9月29日 (木)

自分の字を見ると気分が悪くなる

  岩国市  会 員   山本 一

私はひどい乱筆である。自分の書いた字を見ると気分が悪くなる。手帳などに書いた字が、数日たつと自分でも読めないこともある。丁寧に書くと下手なのがよりはっきりするので、さっと書く。さらに悪いことは、我流で大体似た字を創作して書いてしまうことだ。「文章を書くことは好きだが、字を書くことは嫌い」という自己矛盾を抱え、長年苦しんだ。

この状況を一変させてくれたのがワープロの登場である。初期はたったの1行しか表示できない代物だったが「渡りに船」。時は流れ、今、パソコン全盛である。私は文章を書くことが大好きになった。だが、手紙を書く時はいつも心に引っ掛かるものがある。「パソコンでは心が通じない」という大勢の人の意見が、胸に突き刺さっているからだ。

それでもあえて、手紙を書くときはパソコンで書く。手紙を受け取る方に悪筆で迷惑をかけないために。自分の字を見て自分が苦しまないために。同じ文章のコピーなどは絶対にしない。相手の顔を思い浮かべ、心を込めてキーをたたく。せめてもの罪滅ぼしとして、日付と自分の名前は手書きする。

2011.09.29 朝日新聞「声」掲載)

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2011年9月28日 (水)

「新米に感謝」

   山陽小野田市  会 員   河村 仁美
 
 科学技術が発達し、機械化が進んだ今日でさえ、農作物の収穫は天候に左右されている。今治市に住む叔母が、今年もふるさとの新米を送ってくれた。80歳近い叔母夫婦が丹精して作ってくれたお米だ。 
 小さいころに手伝いをした、黄金色に色づいた田んぼの稲穂が目に浮かぶ。叔母の家はわが家からひと山越えた所にあり、父が手伝いに行くときは単車の後ろに乗って必ずついて行った。 
 ついて行っても小学生の私にできることはあまりない。刈った稲をよいしょよいしょと稲架(はざ)まで運ぶのが私の役目だった。汗をかきながらも楽しそうにしていたら、いとこが言った。「仁美ちゃんは、たまに来て手伝うだけだから楽しいかもしれないけれど、僕はいつもせんといけんのだから」。その言葉が、40年以上たっても忘れられない。 
 保育園のころ、「一粒のお米にも万人の人の苦労がこもっています。感謝をこめていただきます」と言っていたのを、今でも覚えている。炊きあがった新米を感謝をこめていただいた。
   (2011.09.25 愛媛新聞「へんろ道」掲載)

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2011年9月23日 (金)

「1日遅れの誕生日」

   岩国市  会 員   檜原 冨美枝

 

ある朝、起きると「昨日はいろいろとお気遣いありがとう」と主人のお礼の手紙。エッ。何のこと? 続いて「お陰で元気に誕生日を迎えることができました」。あれ、ごめんなさい。別のことに気を取られてすっかり忘れてた。やっぱり年なのかなとつぶやく。

 

まあいいか。幼稚園児ではあるまいし。いい年をして、誕生日にこだわることはない。でも気を取り直して主人の好きなワインとサーロインステーキ(実は私の好物)、そしてショートケーキを並べて、とっておきのグラスで乾杯。主人いわく「工ツ、今日は誰の誕生日?」

2011.9.23 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2011年9月18日 (日)

「9・11」

       岩国市  会 員   樽本久美

 

10年前、1人でアメリカに行った。偶然にも世界貿易センターに旅客機が突っ込んだ1週間前のことだった。元英会話の先生のクリス宅で4日間の滞在。その時、隣家で車椅子の母親が盲目の娘さんのために本を読んでいた姿を今でも思い出す。

 

交通事故で不自由な体になっても、子供のために本を読んでいる母。今回、大地震で多くの子供たちに本の読み聞かせや絵本を贈る活動が盛んに行われている。9月になると必ずあの日のことを思い出す。心が渇いた時には「あの絵本」を幾度となく読んでいる。今年も911が来た。

  (2011.09.18 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2011年9月17日 (土)

家族で「臓器提供」問題を

      岩国市  会 員   安西 詩代

    

先日、「少年脳死、臓器提供」という記事を見て、すばらしい家族だと思うと同時に、短時間でこの難しい選択をされた家族の苦悩を察すると胸が痛む。

18歳未満の臓器提供は、昨年7月の改正法本格施行以来まだ2人目だそうだ。臓器提供がなかなか進まないのは、親の判断だけで臓器提供を承諾することにためらいがあるのも一因ではないだろうか。自分の家族のこととして考えたくないことだが、「臓器提供」のニュースがあった時は、家庭内でこれを話題に話し合ってほしい。

今回、臓器を提供された家族の方は、、「本人は臓器提供関連のテレビ番組を見て、『死んでも人の役に立つなんてすごいよな』と話していた。本人だったら希望したと思う」と話したという。7人の体の中で、彼の臓器が生き続ける。臓器だけでなく、彼の意思、家族の思いも移植された方に伝わることだろう。  

私も12年前から臓器提供カードを携帯し、「死んでも人の役に立てるのは良いこと」と思っている。しかし、目は老眼が進み、血圧も高めになった。移植できる場面が訪れたとき、役に立てるか心配だ。自分だけの体ではないと思って、犬切に生きよう。

 (2011.09.14 朝日新聞「声」掲載)

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2011年9月16日 (金)

「語り伝えたい 戦争の残酷さ」

     岩国市  会員  横山 恵子

 広島に住む1歳半の孫息子と姪の5ヶ月の息子は毎月我が家にやってきて、その成長ぶりを見せてくれる。一時も目が離せないが、話しかけると満面の笑顔の彼らを見ていると、将来生きていてよかったと思えるような世の中であるようにと切に思う。

 今や世界を見渡すと、絶え間なく紛争が続いている。日本も過去、戦争一色という時代があった。紙切れ一枚で戦地に赴き、多くの若者が白木の箱で無言の帰国をした。今も異国の地で眠っておられる遺骨も多い。

 戦後66年、日本が戦争に巻き込まれなかったのは、遺族など戦争体験者がその残酷さを語り継いでこられたことが大きいのではないだろうか。しかし、彼らも高齢になられていく中、今度は戦後生まれの我々がそれを受け止め、語り伝えていく責務があると思う。

 それと共に、国のリーダーを選ぶ目を養うこと、平和教育の大切さをつくづく感じる。毎年、8月の終戦記念日後終わると、潮が引くように戦争に関する報道が少なくなることを、私はとてもさびしく思う。

      (2011、09,06 朝日新聞「声」欄掲載)

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「中毒ご用心」

     岩国市  会 員   吉岡 賢一

 

学校に行くのとほぼ同じ距離を歩いて、小学5年と3年の孫兄弟がやってくる。

 玄関に入るや居間にある冷たい麦茶ポットに殺到。先だ後だと小競り合いしながらのどを潤す。次に冷蔵車のドアを開け放ち、スイカ、トマト、キュウリ、チーズなど、あれよあれよという間に彼らのおなかに収まる。


 夏休みの留守家庭に2人を放ってもおけず、我が家を教室とする臨時講師を引き受けた。騒々しさと素朴な質問攻めに頭もいつしか慣れた。彼らの来ない日は手持ちぶさたで、落ち着かない。すっかり孫中毒に侵された。
  (2011.09.16 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

 

 

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2011年9月14日 (水)

「気になる犬の年」

      岩国市  会 員   林 治子

久しぶりに帰ってきた姪の子供。家の犬とも大の仲良し。ひいつきもつきの毎日を過ごしている。「ねー、何歳」と聞いてきた。「9歳になったとこよ」と言う。「えー、私より上じゃん。じゃあ、私、妹か。今度からお兄ちゃんと呼んであげるわ。お兄ちゃーん」と盛んに呼んだが、自分の名前ではないので、犬はキョトンとしている。

そう言えば、学校帰りの子供だちと一緒になった時があった。その中の1人がやはり年を聞いた。自分より犬の年が上と分かるといきなり「兄貴」と呼んだ。なぜか犬の年が気になる年ごろらしい。
 (2011.09.14 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2011年9月13日 (火)

気の利かぬ若者憂う

    岩国市   会 員   中村美奈恵

 主婦の出勤は一分一秒を争うのに、車で出ようとしたら、バキュームカーが道をふさいで通れない。

 「すぐ済みますから、ちょっと待ってください」と若い作業員がこっちを見た。ますますイライラする。

 ようやく通り抜けて考えた。どうして車が出入りすると思わないんだろう。寄せられるスペースはあるのに。

 「最近は気の利かない人が多い。企業は基本的なことまで指導できません」と話した採用担当者の言葉を思い出した。

 次男の大学であった保護者向け講演会でのことだ。「『枯れ葉が落ちたので、ここを掃いて』と云えば、掃くのはその場所だけ。ほうきだけ持ち、ちり取りやごみ袋もない」。話を聞いてわが息子は大丈夫かと不安になった。

 帰って長男に話すと「スーパーのバイトは気を利かすのが当たり前。そうじゃないと務まらんよ」と答えホッとした。

 それから数日後、帰宅すると暗くなっていた。三男に「カーテン閉めて」と頼んだ。荷物を降ろし部屋を眺めると、閉めてあるのはリビングだけ。あ―あ、ここに気の利かない息子がいた。

    (2011.09.13  中国新聞「広場」掲載)

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2011年9月 5日 (月)

満開の月下美人堪能

   岩国市   会 員    山本 一

 月下美人に7個のつぼみが付いた。妻と2人がかりで全体が見えるようにと移動させた時、1個もげて6個になった。

 ぐんぐん成長し、ある日つぼみがぐいと上を向く。2日後、夕方つぼみが開きかけて中のおしベがのぞける。「今夜だ」と確信する。

 午後8時ごろには三分、同11時ごろには八分の開花となり翌午前1時についに満開となった。庭のライトに照らされ、ぼんやりと自く闇に浮かび、幻想的だ。ひととき眺めながら妻と寝酒を飲む。

 翌朝7時に再度確認すると、既に下を向いてションボリ。一夜限りの何とも神秘的な花だ。

 一番感動したのは、6個のつぼみ全てが、夕方の開花から翌朝しおれるまで、一斉の挙動だったことである。どこでどう指令が出されるのだろうかと興味深い。

 月下美人を初めて見たのは、当時隣に住んでいた義母の家だ。夜中に起こされて、「何事か」とビツクリして駆け付けたことを思い出す。
 

 義母は昨年夏に他界した。生きていれば大喜びで「写真! 写真!」と言ったことだろう。満開の写真を仏前に供えた。

  (2011年9月5日 中国新聞「広場」掲載)

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2011年9月 1日 (木)

「特攻隊員の苦悩知る」

  岩国市  会 員   片山 清勝 

 岩国市内の知人Oさんから著書の1冊を頂いた。その中に「ある特別攻撃隊」という作品が載っている。   
 隊の名前は、「天雷特別攻撃隊」。旧海軍岩国基地で訓練を受け、九州の地から出撃したとある。任務は米軍のB 29編隊へ突入、自爆して編隊に損害を与えること。
積載した250キロ爆弾の起爆スイッチを押して編隊に突入する訓練で、実際には10秒後に爆発し、帰らぬ人になる。

 その20歳前後の隊員たちの、訓練の合間のひとときが書かれている。そこには戦時で特攻隊という状況下での「青春」の姿がある。
 そんなひとつ。O家に招かれた隊員が、座敷に大の字になって寝ころび「畳はいいなあ。家に帰ったような気がする」と話す。そこには、故郷の両親への思いと、元に戻ることのないスイッチを自ら押し、自分の死への秒読みを始める苦悩が伝わる。

 彼らが任命されたのは終戦3カ月前。死の覚悟をしていても、出撃の直前は歌で気持ちをごまかしたという。
 再び「気持ちをごまかす歌」が聞こえることのないことを祈っている。
  (2011.09.01 中国新聞「広場」掲載)

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