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2011年11月

2011年11月29日 (火)

「虐待?」

      岩国市  会 員   横山 恵子

 

夫は脳こうそくの後遺症か、めっきり足が弱ってきた。先日も足をけがして2週間、通院してやっと無罪放免になったと思ったら、今度は玄関で転び、右臀部を打ってまたまた病院へ。医師の「大腿骨に次いで折れやすい所ですが、骨折しなくてよかったですね」との言葉にホッとした。しかし、ひどい内出血にギョッとした。 

 

「お父さん、虐待と間違えられるかもよ。自分じゃあ見えんだろうから、携帯で撮ってあげる」と撮影。見せると夫は「ひどいのー」とうなった。息子は「写真を消しときいよ。痛々しいね」。

  (2011.11.29 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2011年11月22日 (火)

「誕生日」

   岩国市  会 員   片山 清勝

 

がんの手術から4日目、誕生日を初めて病院のベッドで迎えた。「もう、祝う年でもなかろう」と思いながら、窓から雲の流れを見ていると、なぜかいろいろ思い浮かぶ。

子どもの頃の我が家は、3世代と父の妹などが暮らす大家族だった。だから毎月のように誰かの誕生日がある。その日は夕食のおかずがひと品増える。家族全員の小さな皿にのせられた紅い蒲鉾。誕生月の者にはそれがひと切れ多くのせてある。 

今考えると、戦後の食糧難と大家族を賄う家計のやりくりの中で、家族皆で誕生日を祝いたい母の素晴らしい知恵だったと思う。ささやかなひと品に込められた家族の絆。そうとは知らず、私は蒲鉾が食べられると喜んでいた。

そんな家族の中で、父と私は誕生日が同じだった。父は50代半ばで急逝した。父の享年を超える日、私は朝から落ち着かなかった。夕食のとき、遺影でしか父の顔を知らない妻が「超えましたね」とひと言。妻も同じ思いをしていたことを知る。その日の晩酌は格別の味だった。

検温に来た看護師から「退院されたら誕生祝いをしてくださいね」と思いもしなかった優しいひと言。思わず顔がほころんだ。すると、窓の外の紅葉した葉の揺れも「早くよくなれ」とエールを送ってくれているように見える。今年もいい誕生日だ。心からそう思った。

父の享年を15超えた。

2011.11.22 毎日新聞「男の気持ち」掲載)

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2011年11月17日 (木)

新聞の大切さ再認識

  岩国市  会 員   片山 清勝

 2週間と少し入院生活を送った。この間、新聞もテレビも見ないまま過ごしたが、特に不便を感じることはなかった。

 入院中の新聞に目を通した。欧州を中心とする金融不安と連鎖する円高に株安、環太平洋連携協定(TPP)など国の経済、将来を左右する文字が次々と目に入る。

 そんな中、周南市八代の餌場でくつろぐ「冬の使者ナベヅル」の写真にはほっとさせられた。

 遅ればせながら多様な報道をベージをめくるだけで知ることができた。

 情報としての総合力や資料としての新聞の力をあらためて思い知った。速報性はネットに任せても詳報は新聞という自分流スタンスに納得をした。

 新聞は膨大な情報を整理し、載せられた記事には、詳細な内容と掘り下げられた分析が備わっている。

 読者はそこから社会を知り、考え、そして動かす力に変えるものを学び取る。紙面をじっくり見ながら情報の大切さを思い、新聞への期待を膨らませた。 

  (2011.11.17 中国新聞「広場」掲載) 

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2011年11月11日 (金)

原爆の絵本を世界へ

   岩国市   会 員   中村 美奈恵

 友人が、オー ストラリア在住の絵本作家、森本順子さんの「わたしのヒロシマ」という絵本を贈ってくれた。

 1 9 3 2 年に広島で生まれた森本さんが、自らの体験を描いたものだ。

 本は幼い彼女の日常から始まる。美しい自然に囲まれた広島。穏やかなタッチが気持ちを和ませる。だが、絵は一変した。1945年8月6日の出来事を境に。

 もがき苦しむ人々、燃え広がる炎。描かれた惨状が先日聞いた被爆体験と重なり、涙が止まらなくなった。

 10月中旬、息子の小学校で被爆者たちが体験を語った。被爆し大けがを負ったこと、救助活動で見た悲惨な光景。じっと耳を傾ける子どもたちに静かに語り掛けた。

 森本さんの願いのこもった絵本は英文でも書いてある。世界中の多くの人たちに読んでほしい。

 私は自分にできることで平和の大切さを伝えていきたい、と思った。

  (2011.11.11 中国新聞「広場」掲載)

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2011年11月 5日 (土)

「ダイエット」

   岩国市  会 員   林 治子 


酷暑から解放され急に食欲旺盛になってきた。動作がなんとなく鈍くなってきたので、うすうす感じてはいるものの、認めたくない気持ち。衣替えの時、春に着ていた服が窮屈になっていた。あーあ。散歩ぐらいでは駄目なのかなあ。 

 そんなことを思って歩いていると、後ろからガヤガヤとにぎやかな声と足音。「そのワンちゃん、おなかが大きいね。赤ちゃんいるの?」。じっと見ていた男の子。「よう見てみい。チンチンがあるぞ」。「わー」と笑い声。ギョッ。デブはお前もか。「一緒にダイエット、頑張ろうな」と走り出した。

2011.11.05 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

 

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2011年11月 2日 (水)

「続く放射能被害憤り」

    岩国市  会 員   横山 恵子

 

広島に住む友人から「夕方のテレビ番組に娘が出てるから見て…」という電話があった。

それは原発事故で福島から広島へ避難している2人を特集していた。その1人が友人の娘さんだった。

彼女は福島で農業しながら障害者施設で働く夫と結婚、ことし1月に長男が誕生したが、原発事故で急きょ広島の実家に戻った。

現在、夫は山形で働き月に1度、広島へという生活だ。彼女の「子どもがいなかったら福島にいたと思う…」との言葉から、やり場のない憤りを感じた。

原発事故による放射能汚染はどれほど広がるのか、人体にどれだけ悪形響を及ぼすのか。「見えない恐怖」におびえながらら暮らさなくてはならない。

それなのに、中国地方選出の国会議員アンケートによると、原発容認派が6割もいることに驚いた。

企業優先か。住むことのできない故郷を、愛する子孫に残してよいものかと問いたい。

  (2011.10.31 中国新聞「広場」掲載)

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