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2011年12月

2011年12月31日 (土)

「餅つき」

     岩国市  会 員    樽本 久美

 母の体調が悪いので「年末恒例の餅つきはやめよう」と話していたが「1人でもやるよ」と母の言葉。5年前、夫が入院していた時も、年を越してまでも1人で餅つきをした母。母の思いをくんで昨年は早朝5時に実家に行き、餅つきを手伝った。毎年、8時ごろ実家に行き、丸めることはしていたが、昨年は最初から手伝った。

 姪と甥も一緒にみんなで餅を丸め、そして食べた。ささいなことだが、今年もみんなで餅つきができることに感謝したい。来年はもう無理かなと思いながら、両親のうれしそうな背中を見た。
 
   (2011.12.31 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2011年12月30日 (金)

主婦たちの台所国体は金メダル

    岩国市  会 員   山下 治子

 今年の「おいでませ!山口国体」では、手作りのおもてなしをモットーに、私の町では民泊が用意された。
 一番の目玉である選手たちの食事作りは、食生活改善推進員が中心になって、国体に協力したいという主婦が集められた。
 
 だが朝と晩68食分を10日間、3班交代での作業はかなりきつい。
 不安だらけの見切り発車だったが指定レシピの試作を繰り返すごとに戸惑いがちだった手や勘が滑らかになり、主婦の隠し技が次々繰り出された。そして私たちもすごいチームを作り上げていった。

 地産地消のレンコンハンバーグは特に好評だった。
「ぶちうまかったス」と選手が山口弁で言ってくれた。歓声とガッツポーズ。
 期間中、朝は4時から仕込み、夜は10時前の帰宅。疲れても翌日の心配をしている。

 私たちには選手たちが皆、我が子のように思えていた。母心で作る食事、それがいつの間にかチームの絆となった。
 最終日、一番若手の主婦が泣きだした。同じように皆が涙ぐんだ。

 10日間を振り返る。料理の腕を上げた、たくさんの若者たちとふれ合った、一緒に泣ける仲間と知り合えた・・・・・・。

 今年の収穫はまさに黄金色だった。  
   (2011年12月30日、朝日新聞テーマ「この一年」掲載)

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2011年12月28日 (水)

「俳句の審査員」

    岩国市  会 員   中村 美奈恵

小6の息子の参観日は国語だった。秋から冬を季語に俳句を詠んでいる。親たちはそれらの中から好みの作品を選ぶことになった。紅葉したモミジが揺れる姿を「フラダンス」。さなぎになったミノムシを「ミノムシふとん 巻いている」と比喩がうまい。

中でもヒガンバナを「地面から出た花火」とした俳句は、ヒガンバナの赤い花弁が輝きを放つ花火に見えて、私は迷わず「ナンバー1」と書いた。

感性豊かになった帰り道、息子に作品を問う。するとにっこり笑って「冬になり ストーブ出して まるくなる」

2011.12.28 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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「月食の夜に」

岩国市  会 員   山下 治子


 夜の9時半ごろ「今から、天空のプラネタリウムを見ないか」と、単身赴任中の夫から携帯に電話が入った。

その夜の「皆既月食」は最高の条件で観賞できるとかで、1人眺めていると言う。月食は太陽と地球と月が一直線に並ぶ現象というくらいしか知らない私は、冷え込みを心配して気乗りしなかったが、「寒いからよく見えるぞ」の誘いに、こたつを出てベランダに上がった。

月はすでに欠け始めていた。

 ティータイムを挟みながら、名古屋と岩国、お互い違う空の下から、同じ神の領域にある宇宙の神秘の瞬間を見つめた。次の皆既月食が観察できるのは3年後。その時はふたりとも元気にわが家のベランダで月見酒しながら見たいものだな」

 そうつぶやく夫とは、結婚して35年。その3分の1以上は離ればなれの生活だ。でもお互いがそろそろ杖として相手を必要とする年回りに来ている。

 月が赤銅色に完全に変わるまで、携帯電話をフルに活用し続けた。

 「付き合わせたな。また1週間頑張れるよ」

 「お正月休みまで、あと少しだから」

 おやすみと言って電話を切ったが、寝付かれず、新聞配達のバイクの音を聞いて、やっと眠った。

   (2011.12.28 毎日新聞「女の気持ち」掲載)

 

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2011年12月27日 (火)

「続けるぞ」

 岩国市  会 員   片山 清勝

 

京都に住む孫へ手作り新聞を送り始めて10年になる。きっかけは平仮名を読み始めたという嫁のメールで、孫とコミニュケーションを図ろうとパソコンで作り始めた。日々のたわいないことをデジカメ写真と一緒に載せる。やり始めたら面白くて、今では月刊になった。ファイルをめくると、成長の跡が残り、その折々のことを思い出す。

 

大きな患いもなく、今日まで育ったことが何よりの喜びだ。孫は中学1年生。素直で優しい今のまま成長してほしい。「このまま作り続けて」。10年に際して孫からのメール。うれしい一言。目が潤む。

 2011.12.27 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2011年12月26日 (月)

「よんち」

    岩国市  会 員   吉岡 賢一

 

出先の妻から「炊飯器のタイマー入れるの忘れた。スイッチ入れといてね」と電話。おっ、またか。そう言えば最近、トイレの電灯消し忘れも目立つようになった。あのしっかり者でさえ、年相応に来る時が近づきつつあるのかなと心配する。

 かたや「おれの携帯知らんか、ちょっと鳴らしてみてくれ」「この前、買ってきたあれはどこに置いたかの」などと似たもの同士のかばい合いは続く。

 「お父さん、しっかりしてよ、認知と認知で『よんち』なんてシャレにもならんよ、ハハハ」と豪快に笑う。いつまで、こうして笑っておられるんじゃろう。

2011.12.26 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

 

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2011年12月23日 (金)

「息子が大学で就職の体験談」

  岩国市  会 員   中村 美奈恵


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年春の新卒採用を目指す大学3年生の就職活動がスタートした。昨年より2ヵ月遅れの始まりに、学生たちは不安を感じているのではないかと案じている。  

4年生の息子の就職活動は昨年秋に始まった。紺色のスーツで企業説明会に出向いた。仕事のやりがいや待遇面を考え、志望企業は慎重に選んだ。履歴書には大学で学んだこと、スーパーのアルバイトや吹奏楽団で得たことを書いた。面接では「今日はなぜそのネクタイにしましたか」など不意の質問に戸惑ったこともある。説明会と面接の日程が重なり、どちらの企業を選ぶか迫られたこともあった。学業よりも就職活動に重点を置いた末に、内定の知らせが届いたのは初夏だった。

そんな息子が大学の就職ガイダンスで体験を話すことになった。「不採用になったとき、どう気持ちを立て直したか」を話したいという。就職活動中はさまざまな葛藤があっただろう。体験をしっかり伝え、後輩にエールを送ってほしい。

  (2011.12.23 毎日新聞「みんなの広場」掲載)

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2011年12月22日 (木)

「新年への思い、粘土に練り込み」

     岩国市  会 員   片山 清勝

 

友人に誘われて陶芸教室へ通い始めて4年になる。毎年、最後の作品は翌年のえとの置物を作ってきた。丑、寅、卯の3体がそれぞれ玄関で守り神として我が家を見守ってくれた。

来年のえとは辰。私はその辰年生まれで年男である。12年前は定年間際で、仕事で失敗しないよう気を引き締めたことを思い出す。今年は東日本大震災をはじめとする自然災害や、東京電力福島第1原発事故に見舞われた。個人的には秋にがんの切除手術を受け、生まれて初めて入院した。そんなこともあり、来る年の安泰を願って今年最後の作品も辰に決めた。

辰は難しい。どう立体的に仕上げたらよいか知恵を絞る。ふと、年賀状の準備で下書きを済ませていたタツノオトシゴをモチーフにした壁掛けを思いついた。新しい年への思いを粘土に練り込んだつもりだ。完成までには素焼き、色付けと続く。えとの焼き物作りは、十二支がそろうまで頑張って続けたい。

2011.12.22 毎日新聞「みんなの広場」掲載)

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2011年12月16日 (金)

「老眼 オシャレに楽しむ」

      山陽小野田市  会 員   河村 仁美

 この頃、私の周りでは、やたらに老眼の話題が飛び交っている。私自身は、目には今のところ問題がなく、生まれてから一度も眼鏡をかけたことがない。だが、こればかりは、避けて通ることはできないようだ。
 老眼鏡という呼び方は、加齢を思わせるので嫌だと思っていたら、今は「シニアグラス」と言うそうだ。職場の同僚は、百円ショップで探した200円の眼鏡をかけている。私も「見えればよし」と思うタイプなので、それで解決するなら安上がりだと思っていた。
 そんなある日、知人が、とてもおしゃれなデザインのシニアグラスをかけ始めた。赤い縁取りの眼鏡自体が顔のアクセントになっていて、年を重ねたからこそのおしゃれを楽しんでいるようだ。彼女から購入先を聞いた私は、「その時」が来ても胸を張って、楽しくシニアグラスを手にすることができそうだ。

  (2011.12.16 読売新聞「私の日記から」掲載)

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2011年12月10日 (土)

看護師さんの対応に感服

   岩国市  会 員  片山 清勝

 9月末、大腸がんと診断され、その切除手術を受けた。手術後の回復は順調で普通の生活に戻れた。

 生まれて初めての入院生活。振り返ると、何といっても看護師さんたちにお世話になった。手術後、痛みなどを訴えると笑顔と優しさを決して失わず、患者の状態を知り的確な対応をする姿に感服した。そこには責任感だけではない、鍛錬された気持ちの通いを感じた。患者との信頼関係を生み、回復への励みになると思った。

 「手術後にしっかり歩くことが回復への近道」と主治医から説明を受けていた。病棟の廊下を歩くと、多くの看護師さんから声をかけられる。「痛みはない?」「どのくらい歩いたの?」「歩く姿勢が良ぐなった」など、なんでもない普通の会話だが、それが手術後の重い気持ちをやわらげてくれていることに気付いた。

 こうした声かけは、重度の患者にとってはなおのこと効果が大きいだろうと信じる。こちらからも返事は出来るだけ明るく返した。

 仮眠もない夜勤の看護師さんをナースコールする。予定の業務を中断させるが、笑顔と優しさを失うことなく駆けつけてくれる。その姿勢に「ありがとう」が自然に口から出ていた。

   (2011.12.10 朝日新聞「声」掲載)

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「ノルマだったが」

        岩国市  会 員   山本 -

 

長女が2歳、次女が0歳のころは大阪勤務だった。両方の実家の強い要望で、お盆と年末年始は必ず帰省した。まだ新幹線はないころで、安上がりな夜行旅客フェリーを使った。

超満員で1人分のスペースは畳1枚よりも狭い。長女はトイレを連発し、次女は辺り構わず泣く。妻の実家は岩国、私の実家はさらにバスで2時間もかかる島根の山間だ。帰省は嫌だった。親は二の次で結婚したが、長男と長女の現実は重かった。

今、娘や孫たちが我が家にやってくると素直にうれしい。帰省を「苦痛なノルマ」と思っていたあのころの心がとける。

2011.12.10 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2011年12月 9日 (金)

「如意棒」

         岩国市  会 員   山下 治子

 

朝から裏の山が騒がしい。柵を立て、網を巡らすも効果は薄い。今年は気温の変動でダイコンや白菜の成りが早い。それを狙って畑に来る。

畑の主のおばちゃんは85歳。サルの気配を心得ていて、この時ばかりは曲がった腰がピンと張り、立ち向かう。バケツをたたき、引き気味の私に「大丈夫。如意棒があるからね」と杖代わりの傘をパッと開いた。ワンタッチ傘だ。サルは突然開く傘に驚いて逃げるという。子を抱えた母ザルが素早くダイコンを抜いて逃げた。「子をだしにされたら仕方ないよね」。おばあゃんの目は優しかった。

     (2011.12.09 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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「無料クーポン券」

       山陽小野田市  会 員   河村 仁美

 

今年は周辺に入院する人が多い。夏パテもせず、いつもパクパクとご飯を食べ、風邪もめったにひかない私も気になってきた。

乳がん検診の無料クーポン券が届いた。娘と一緒に行こうと思っていたら職場の健康診断ですでに済ませたという。普通ならパスするところだけど、私は無料という言葉に弱い。よく見ると有効期限が来年の1月だ。「早めの予約を」の文字を横目で見ながら電話をかけた。クーポン券で受診することが世界一安くて、とても有効な「がんで命を落とさないための特効薬」とある。自分自身を守るためにも有効に使いたい。

     (2011.12.09 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2011年12月 7日 (水)

「無罪放免」

    岩国市  会 員   沖 義照


 「念のため組織を採りました。検査してみましょう。結果は2週間後に分かります」

若い医者が写真を指さしながら無表情で言った。

人間ドックで胃の内視鏡検査の結果を間いた時のこと。胃壁に1力所、小指の先ほどの小さく赤みがかったところがあり、その箇所の組織を採取したという。

それから小春日和の天気の良い日が何日もあったが、まったく遊びに出かける気がしない。図書館から借りてきた本を読んでみても、斜めに読んでページをめくるだけ。窓の外の明るい景色も、心の底から楽しめない。 

その一方で「何か見つかったら見つかったでいいや。その時はその時だ」という気持ちもあった。若い頃は「もしそうだったら、どうしよう」と、病気を恐れる気持ちが強かったが、この年になると「仕方ない。なるようになるさ」と達観した気持ちの方が強くなっていることに気がついた。

こうしてみると、年を取るのも悪くはない。同じ現象に対して、受容・寛容の気持ちになることができる。

憂鬱で気分のすぐれない2週間が過ぎ、神妙な顔をして医者の前に座った。

「胃炎でしょう。悪いものではありませんでした」

無罪放免。えん罪だった。

スキップしたい気持ちを抑えて病院を出、晩秋の空を仰ぐ。

「今日はドライブだ~」

2011.12.07 毎日新聞「男の気持ち」掲載)

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2011年12月 5日 (月)

「残影」に平和考える

    岩国市  会 員  片山 清勝

 ことしは太平洋戦争開戦から70年目。

 真珠湾攻撃を命ずる「新高山登レ一二〇八」の暗号電文が、連合艦隊旗艦の戦艦長門から発信されたのは、岩国市の沖合にある柱島周辺だったという。

 それを知ったのは、中国新聞文化面の企画「残影 第4部 群島の記憶」。柱島周辺は戦時中、多くの艦船が停泊し柱島泊地と呼ばれた、とある。

 静かな瀬戸内の小さな島々の周辺から発信された電文が、開戦の起点になったことを知り、複雑な気持ちにさせられた。

 戦時中、柱島周辺の島も空襲で島民が犠牲になっている。小さな島になぜ空襲を、と思っていたが、停泊や出撃の重要海域であったため、戦火に巻き込まれたことを知った。

 「残影」のような身近な情報を知ることで、戦争への道を再び歩まないためにはどうしたらいいか、考える基になる。

 太平洋戦争開戦の起点となった柱島泊地。そこは広島も宮島も近い。次は世界平和構築へ向けた集いの泊地になってと願う。

  (2011.12.05 中国新聞「広場」掲載)

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2011年12月 2日 (金)

「判断と決断」

岩国市  会 員   井上 麿人

 お土産は、ようかんにするか、まんじゅうかで迷う。結局両方を買うが、どちらを渡すかまた迷う。揚げ句、両方を渡す。晩酌をビールにするか、酒でいくか、結局両方を飲むいつもの習い性だろうか。

 なでしこジャパンのパスは判断と決断が同時に要求されているというのに、まんじゅうとようかんの決断ができない。

「重くない、大きくない、甘くない、高くない……」。ここまで考えたときまんじゅうに決めた。今後はこれでいこう。晩酌はいつものままで。妻に話すとダジャレが返ってきた。ケチな「考」え、「老」いに似たり。
  (2011.12.02 毎日新聞「はがき随筆」)

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