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2012年8月

2012年8月31日 (金)

「夏の終わりに」

       岩国市  会 員   吉岡 賢一

広島、長崎の平和式典や終戦記念日追悼式など、お線香の香りの絶えない日が続く8月。そんな行事に挟まれるように、39年前に74歳の生涯を閉じた父の祥月命日がある。

帝国海軍軍人であったことを誇りに生きた父も、昭和48年の歴史に刻まれた猛暑酷暑には耐えられなかったのか、短い患いであっけなく逝ってしまった。あの夏の再来を思わせる連日の猛暑を無事乗り切り、せめて寿命だけでも父と肩を並べられる日を迎えたい。

8月は鎮魂の月。風鈴を揺らす風とともに心静かに手を合わす。秋はすぐそこに。

    (2012.08.31 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2012年8月28日 (火)

「五十回忌過ぎても友達」

     岩国市  会 員   横山 恵子 

 

 この夏、地元の山あいにある祖父母の墓参りをした時のこと。仲良しだった幼なじみの女の子、Sちゃんを思い出した。
 

 Sちゃんは小学3年の夏休み、川で溺れて帰らぬ人になった。彼女のお母さんが、横たわる亡きがらに話しかけたり体をなでさすったりする様子を見て、つらかった。その後、道端でお母さんと会う度に「大きくなったね」と言われ、返答に困ったものだった。
 あれから何十年たったろう。私は思い切ってSちゃん宅を訪ねた。90歳で一人暮らしだというお母さんは一瞬驚いたが、すぐに懐かしそうに私を見つめ、「Sが生きていたら時々帰ってきて家の片づけをしてくれただろうに……」と話した。

 一昨年に五十回忌を迎えたとのこと。私は仏壇に手を合わせ、笑顔の遺影をなでた。Sちゃんはお母さんの心の中で、生き続けているんだね。ずっと友達だよ。
 
 (2012.08.28 読売新聞「私の日記から」掲載)

 

 

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「おみやげは帰った」

 

         岩国市  会 員   安西 詩代

 

お盆に息子たち5入家族が墓参りに来た。わざと「おみやげはないの」と聞くと、間髪入れず息子と嫁が年の離れた5歳の孫を指さした。「おじいちゃんが可愛い孫と一緒にお風呂に入れるので、これがおみやげ」と答える。
 「おみやげなら置いていってね」。本当は困るけれど言ってみた。「それはできません。次回も使い回ししますので……」と大笑いになった。
 昔おみやげだった上2人の孫も、今では欲しい物を買ってもらうのが自的のようだ。皆、私たちの弱みをよく知っている。それでもうれしい。

  (2012.08.28 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2012年8月25日 (土)

岩国の老桜にエール

     岩国市  会 員  片山 清勝  

 岩国市の名勝・錦帯橋とその近くの吉香公園は、桜の名所としても知られ、その桜はソメイョシノで3千本といわれる。

 そんな桜の中に日本で2番目に古い木のあることを知った。その木の周囲はロープで囲まれ、保護されている。

 植えられたのは明治19(1886)年という。当時の写真と吉川家の元執事長の日記などから特定できたことを最近立てられた説明板に教えられた。

 吉香神社周辺で4本確認した。今、それらの木の古い幹は剪定され、それを受け継いだ新しい幹が、葉を茂らせている。それを支える根は太く、何本も土の中へ伸びている。その姿は老木というより翁桜の風格を感じる。

 日本一古い桜の木はどこにあるか。青森県の弘前城にあり、吉香公園の桜より4年古いという。本州両端の県というのは何かの縁だろうか。

 明治以降の変革を見てきた長寿桜、これからも周辺の仲間とともに長く咲き続一けてほしい。心からエール一を送った。 

   (2012.08.25 中国新聞「広場」掲載)

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2012年8月23日 (木)

「主婦ってね」

   岩国市  会 員   山下 治子

 

溶けたキャラメルみたいな真夏日続き。エアコン、冷蔵庫、人、まるで限界テストのような連日だ。と、冷蔵庫が息たえだえに汗をかきだし、氷ができなくなった。冷蔵庫の無い夏は地獄だ。容量が合えばよいからとあわてて買った。

やれやれと一息ついて4日後、同じ家電店が大処分セールを始めた。何だか損した気がして腹が立つ。今までの方が使い勝手がよかったなど愚痴も出る。「いずれ2人だけになるんだ。ちょうどよかったかもしれんぞ」。夫は冷えたビールを取り出し、「まぁ飲め、うまいぞ」。そうだね。

 (2012.08.23 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2012年8月21日 (火)

「平和を願って」

       岩国市  会 員   横山 恵子

 

父急死後、しばらくして原爆資料館ヘボランティアに行った時、手紙を渡された。それは、以前ガイドした大阪の小学6年生からのものだった。
 
 「原爆の怖さを知り、帰ってから~5年生に伝えました。これからも私たちができることに取り組んでいくつもりです……」。戦禍をくぐり抜けた父の声無き声を伝えなくては。手紙が背中を押してくれた。
 
 今年も被爆地広島・長崎の平和式典に参列した人、人、人。心を一つにし、世界へ向け核廃絶を訴えるために……。何としても未来ある子供たちに平和というバトンを渡したい。

  (2012.08.21 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2012年8月14日 (火)

「妻に勝てること」

      岩国市  会 員   山本 一

 

毎晩寝る前に、妻とお互いのパソコンに向かう。2人でチビチビと飲む。コップになみなみと酒を入れて2階に持って上がるのは私の役目だ。妻はなぜかこれができない。イベント会場などでカップコーヒーを買った時も、持ち運ぶのは私の役目だ。妻がやると階段はもちろん、平地でもこぼす。こんな簡単なことがなぜできないか、不思議である。泳ぎも全く駄目だ。私は考えなくても水に浮く。

こんなことをあげつらうと、必ず逆襲される。悔しいが、個々に比べると妻の優勢勝ちなのだ。ゴールも見えてきた。お互い助け合っていこう。

   (2012.08.14 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2012年8月13日 (月)

大金に驚く息子たち

    岩国市 会 員   山下 治子

夫の定年を機に住宅ローンを完済しようと決めていたが、通帳上の数字の移動だけでは何か空しい。

返済し続けて18年。息子たちに学費がかかる時期など、正直しんどい局面もあった。よくやり繰りしたというより、何とかなるもんだと振り返る。

この先、完済に充てるような大金を手にすることもないだろうと思い、現金化して一晩、二晩眺めようと夫との話がまとまった。

息子3人を呼び寄せ、それぞれの前に引き出した現金を均等に並べた。表情をこわばらせる息子たち。そこで夫の名演技。「これは退職金だ。生前贈与としてお前たちにやる」

「えっ、ほんまに?」「車のローン、助かるなあ」「おとんたちが使えばええやん」と、三者三様の反応。

次の瞬間、私たちのたくらみを見抜いた息子たちが「だって、住宅ローンを返すって言ってたじゃないか」と□をそろえた。がっかりさせたようでちょっぴり気が引けたが、全員で大爆笑して幕に。

「美田」を残そうにも残せないが、家族全員元気に暮らせている。息子たちはきっと、夫に感謝しているに違いない。

2012.08.11 朝日新聞「ひととき」掲載)

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父の遺志を継いで

   岩国市  会 員  横山 恵子

 4月に父が90歳で亡くなった。終戦の日を前にしたこの時期になると、折に触れ聞かせてくれた戦争での話がよみがえる。そして話の最後に必ず出てきた「戦争ほどひどいものはない」という言葉には万感の思いが込められていた。

 徴兵され、中国戦線に送られた父は、死と背中合わせの極限状態の中、胸の張り裂けそうな場面を数多く目にしたようだった。必死に助けを請う仲間の負傷兵を、心の中で手を合わせながら置き去りにせざるを得なかった体験や、「敵弾で殺されるくらいなら、これで自爆しろ」と強要しながら負傷兵に手りゅう弾を持たせる上官の姿…。

 「戦争は、人の心を狂わせる。自分と同じ体験は誰にもさせたくない」との思いで話してくれたのだろう。戦後は再び小中学校の教壇に立った。 「二度と戦争があってはいけん。そのためにも教育は大切じゃ」と母に話していたという。教師として教え続けたのも、そうした気持ちの表れだったのでは、と感じる。

 戦争という歴史の渦に翻弄されながら、戦後、自らの信念を貫いた父。その遺志を子や孫の世代に少しでも伝えていけたらと思っている。

   (2012.08.13 中国新聞「明窓」掲載)

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2012年8月 3日 (金)

「何回言えば……」

       岩国市  会 員   樽本 久美

 「何回言えばいいの」と大声を上げている私。私は今、小学校の放課後教室の先生。暑い中、毎日毎日同じ事を繰り返す。1年生から3年生までの子供を預かっている。絵本を読むと熱心に聞いてくれる子供もいるし、「川柳かるた」づくりに挑戦してくれる子供も。少しヒントを出すと、あっという間に面白い川柳を作る。
 やはり子供は無限の可能性を持っている。見ていて面白い。毎日、この子供たちと遊ぶ事ができる私はしあわせかな。児童虐待が叫ばれている今。子供を守ってやらなくてはいけない、と今日も大声を出している。

  (2012.08.03 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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