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2015年8月

2015年8月30日 (日)

伝統の踊り 復活喜ぶ

   岩国市   会 員   片山清勝 

 岩国市の錦帯橋近くで、江戸時代から伝わるとされる「小糠踊」で城下町情緒が残る路地を練り歩く「こぬかの盆」が、約60年ぶりに復活した。
 太鼓と笛の音に台わせた甚句調の音頭で「そーら、てっとーてん」の掛け声に合わせて踊る。ゆったりとした曲調と上品な振り付けは、やぐらを囲む現代風の盆踊りとは趣が違う。
 この踊りは保存会が守ってきた。盆の練り歩きを復活して地域を活気づけようと応援隊が結成され、本番に向けて練習を積んだ。
 日暮れとともに、通りにあんどんがともされ、100人を超える踊りの列が続いた。そろいの浴衣を着た保存会員の顔は、復活の喜びに満ちていた。応援隊の踊りの列には、児童や若い女性の姿が多く見られ、先々に明るさを感じた。
 この踊りはかつて城下の町家や農家の子女の間で親しまれ、盛んに踊られていたという。復活を喜んで飛び入り参加する人もあり、大いににぎわった。
  「来年もやります」。最後に実行委員が力強く宣言し、拍手が起きた。

        
    (2015.08.30 中国新聞「広場」掲載)

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2015年8月22日 (土)

パンプキンサラダ

    岩国市  会 員  山下 治子

    ウチの八百屋さんが帰って来た。本日の収穫は大小十数個のかぼちゃ。取り立てのかぼちゃは包丁がすんなり入る。これはうれしい。調子にのって切りすぎたかぼちゃは、種を取り皮をむき、蒸して潰して、水にさらした薄切り玉ねきと多めにレーズンを入れ、マヨネーズであえて出来上がり。

我が家の分をのけてあとはご近所へ大鍋抱えて出前に。容器に入れて持って行くと「お返し」なんて面倒があるから「好きなだけどうぞ」とお玉を渡す。「珍しいね」「もうちょっといいかネ」などと完売。 

今夜の八百屋さん、気持ちよくお酒が進んでいる。

  (2015.08.22 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

 

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2015年8月21日 (金)

平和発信の海に

    岩国市  会 員   片山 清勝

 
「新高山登れ」の暗号電文が旗艦長門から発せられたのは岩国市沖合にある柱島近海だったという。開戦の起点になったことを知った時は複雑な気持ちになった。戦時中、周辺は多くの艦船が停泊や出撃する重要海域で柱島泊地と呼ばれた。そんなことで小さな島も空襲に見舞われ尊い人命を失った。
 
 この海域近くの米海兵隊航空基地は、近々極東最大級の基地に変わる。「父の最後の言葉が戦闘機の音で聞き取れなかった」と聞いた。残念だっただろう。   
 
 元泊地は被爆都市広島市にも近い。戦闘機の轟音でなく、平和発信の海域にしてほしい。

 (2015.08.21 毎日新聞「はがき随筆」戦後70年特集掲載)

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懐かしい学級

  岩国市  会 員   林 治子

 「おーい。臭いぞ」。A君が後ろを向いて大声で叫ぶ。B君はごめんと言いながら隣の席に寝かしている弟のおしめを替える。手際よく済ませて席へ。先生も何事もなかったように授業を進める。ぐずり始め泣いたりするとB君に外であやしておいでと言う。静かになった弟を連れて授業に戻る。B君の家はお父さんが出征し、お母さんとおばあちゃんで田んぼを作っている。田植えの時は猫の手も借りたい忙しさ。その時、勉強好きなB君は弟を連れて学校に来る。 働き手の男は国のため出征してゆく。こんな家庭が珍しくない時代。今では考えられない。

  (2015.08.21 毎日新聞「はがき随筆」戦後70年特集掲載)

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2015年8月20日 (木)

戦闘帽の父帰る

      岩国市  会 員   山本 一

 

大阪で生まれたが、父の出征のため、2ヵ月後には島根の山村に疎開した。森林鉄道のトロッコが走り、家が数軒しかない。時々トロッコに乗せてもらって母の実家へ行った。レールにくぎを置いて遊んでいて、運転士にひどく叱られた。3歳を過ぎた頃のかすかな記憶の中で、ある日突然戦地から父が帰って来た。戦闘帽をかぶって目のぎょろりとしたその時の父が、いまだまぶたの中によみがえる。今考えてみると、私と父との、この世で初めての出会いであった。その後折に触れ父の体験話から学んだことは「戦争は絶対にしてはいけない」ということだった。
 
  (2015.08.20 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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2015年8月13日 (木)

実家を売却 古里遠く

    岩国市   会 員   山本 一

 今年もお盆を迎えた。実家は島根県吉賀町で、墓も当地にある。
 いつもは妻と2人で墓参りをするが、今年は4歳の孫も一緒だ。暑い日が続き熱中症対策など、あれこれ考えなければならない。
 実家は一昨年、売却した。兄弟4人とも遠方に住み、近所に迷惑を掛けられないと、管理の負担が気になっていた。幸いにも買ってくれる人が現れ、大変に幸運だったと思う。
 しかし、たとえ廃屋になっても実家があるのとないのとでは随分と勝手が違う。実家がなくなって何より寂しいことは、古里に帰っても身を寄せる所がないことだ。廃屋でも、実家があると心が落ち着く。
 何だか古里が遠くなったというか、自分から離れた感じがする。
 古里で出会う人たちとの距離も、実家がない後ろめたさのようなものがあり、自然に自分の方から遠ざけているような気がする。
 墓の前に立つと、父母の悲しむ姿が見えるような気がして、心が騒いだ。

    (2015.08.13 中国新聞「広場」掲載)

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2015年8月11日 (火)

精霊トンボ

 岩国市  会 員   角 智之  

 夏から秋にかけて太陽が西に傾く頃、道路や河原の上に群がって飛ぶ様は、風情がある。図鑑には「薄羽黄トンボ」で載っているが、知っている人はほとんどいない。実家のすぐ裏の石垣に茅が生えていて、夕方にはこれがねぐらとなり、池に突き出た細い葉にたくさんぶら下がる様子が面白く、寝ころんで暗くなるまで眺めていた。盆には、このトンボが大切な人の御霊を乗せて家々を回るという。昆虫などは、正式名よりも通称の方がよく知られていることも多い。このトンボは、なじみ深いあかトンボと同様に広く知られて精霊トンボいるお盆の使者、精霊トンボ。   
  (2015.08.11 毎日新聞「はがき随筆」掲載)
 

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2015年8月 7日 (金)

3人の17歳

        岩国市  会 員   安西 詩代

 兄が17歳で特攻隊に志願し、私の生まれる前に亡くなったことを高校生の時、姉より聞いた。
 壁に掛けてある凛々しい軍服姿の兄の写真を見つめた。
 深い悲しみを背負っていた父と94歳まで生きた母も兄のことを一言も話すことはなかった。
 息子が17歳になった時は部活の野球を朝から晩まで楽しんでいた。戦後の平和は私たちの心を穏やかにしていた。日本国のために出征した兄とは重ならなかった。
 しかしこのごろ、心がザワザワして落ち着かない。
 孫が17歳になった。兄と重なる恐怖が芽ばえている。
 (2015.08.07 毎日新聞「はがき随筆」戦後70年特集掲載) 

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2015年8月 6日 (木)

平和の灯永遠に

       岩国市  会 員   吉岡 賢一

 

ちぎれるほどに手を引っ張られ「もっと早う!」。兄の悲痛な叫びに、こけつまろびつたどり着いた暗闇。ひしめき合う大人の足元で息をひそめた切ない時間。唯一私の戦争実体験としてかすかな記憶にある。
 つなぎ留めた命は3歳半で終戦を迎え、ひもじい子供時代をくぐり抜けた。大きく発展する日本経済の流れに乗って成長した。人々を奈落におとしめた愚かな戦争を顧みながら、汗と脂にまみれた企業戦士たちが70年かけて築き上げた復興と繁栄。今、破壊と殺りくを旨とする戦士など、永遠に無用な世の中にするのも私たちである。
   
2015.08.06 毎日新聞「はがき随筆」戦後70年特集掲載)

 

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川の流域の生物生き延びて

    岩国市   会 員   片山清勝

 国の名勝、錦帯橋で知られる錦川の流域にすむ野鳥をテーマに、写真展が開かれた。私は、流域の自然の豊かさに目を見開かされる思いがした。
 撮影地域は、錦川の源流から瀬戸内海に至る100キロ余り。作品は、野鳥の美しさだけでなく、生息環境や野生ならではの生態も捉えているのが印象的だ。
 ブッポウソウがトンボを捕らえ巣へ向かう連写、アカショウビンが抱卵している穏やかな姿。人と変わらぬ親子愛を感じさせる。
 錦川の支流で撮ったというオシドリ300羽が群れる1枚は、自然環境が保たれている様子がみてとれ、うれしくなった。カワセミが羽ばたき空中に浮く姿は、羽の色彩が美しく溶けあい、まるでアニメの世界から飛来したようだ。
 野鳥たちに共通するのは、油断のない鋭い目。野生の力強さを感じさせる。撮影者の写真家からは「何時間も待機して撮った1枚ばかり」と聞いた。
 野生生物の減少が各地で危惧されている。錦川も上流で新たなダムを建設中だ。川の流域の生き物が生き延びて欲しい。そう思いつつ、帰路についた。

    (2015.08.06 朝日新聞「声」掲載)

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2015年8月 1日 (土)

 ご近所のお陰

      岩国市  会 員   上田 孝

 孫の顔を見に東京に住む娘の家に出かけた折、庭木の剪定を頼まれた。カミさんと小さな鋏でパチンパチンと始めたところ、隣のご主人が大きな剪定鋏を、向かいの奥さんが脚立と高枝鋏を持ってきてくれた。伸び過ぎていたので心配していたという。猫の額の庭とはいえ結構重労働になったが、ご近所のお陰で見違えるほどすっきりした。
 たまたま多めに買って来ていた土産を手に返しにいったが、「ご近所だからお互い様」の言葉とともに庭でとれたというトマトまでいただいた。人のつながりが薄いといわれる東京でこんなご近所に囲まれて安心。

   (2015.08.01 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

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